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東日本大震災で被災しました。PCが壊れ、ビルダーも壊れた為、サイトは書庫化しています。
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今日も雪。昨日の雪の上に深々と降り積もる雪。
ああ、もうどーしよう。昨日のチリトリ雪かきで今日は全身筋肉痛だっちゅーの。こうしてキーボードを叩くだけでも「いててて…」と呻き声が上がる。もう雪かきしたくない。
昨夜遅くに帰宅した夫曰く、「こっちは凄いね。こっちって言うか、ココだけ凄いことになってるよ」
夫の単身赴任地は筑波おろしが吹きすさぶ盆地のくせして、降ったけど何故か積もらなかったらしい。
一山越えた向こうの山間に住む友人も「あっはっはっは、こっちは積もってないよー」と電話口で笑っていた。なんですと、山の向こうのくせして、積もってない?
くぅー、やっぱりウチは市内とは名ばかりの秘境、チロリン村だったのねっ。
いっそ冬眠したい。「桜が咲く頃まで、みなさんサヨウナラ~」と言いたい気分だ。

ようやく今朝になって宅急便が届いたので、炊き込みおこわと共に夫に託し、実家へと配達してもらう。
ワタクシは全身筋肉痛につき、家でお留守番だ。
あ、喉の痛みはようやくなくなりました。でも油断は禁物なので、ヌクヌクしているのよ(^^;
なんせ先週末は喉の調子が悪かったのでお休みしたアンサンブル練習に、今夜こそは行かねばならない。
明日は夫が単身赴任先でお世話になっている合唱団さんへ行く約束だ。
伯母絡みでお疲れだった秋にパスしているだけに、あちらさんはいたく楽しみにして待っていて下さっているとのことで、そんなことを言われちゃうと、二度もパスするほどワタクシの神経は太く出来ていないのだ。多少喉の調子が悪くても行かねば。
だが、この雪のせいで微妙なことになった。
果たして、今夜と明日は出かけられるのだろうか??

以下、現代合唱曲をご存知じゃない方には、非常につまらない独り言です。お許しを(^^;
アンサンブル仲間の友人Gちゃんに、「サルヴェ・レジナ(プーランク)とオー・マニュウム・ミステリウム(ラウリセン)、どっちが好みだった?」と尋ねたら、「どっちも好き」と返ってきて驚いた。
う、プーランクを好きだと言い切るとは、や、やるな。
うっとりと溜息をつく乙女ってな感じの、耳に優しいラウリセン(ケンピーとタイプが似ている。アメリカで大人気らしいけど、アメリカ人ってのはこーゆーのが好きなのか?)ばかり眺めていたワタクシ、それを聞いて激しく反省。
ブレスが短いワタクシは、今回のラウリセンのよーなゆったりとした美しい曲は苦手だが、それでもプーランクよりマシと思っていた。
どうもプーランクには苦い思い出しかないもので、先入観が邪魔をしたようだ。
言われて良く見れば、今回配布されたサルヴェ・レジナは、そう悪くない。
プーランクにしてはマトモだし、譜面は優しいので初見で十分いける。
ただし「ちっ、ところどころさえなければな」と言う感じ。
そこはやはりプーランク。普通に分かり易いはずがないのだった。やっぱ苦手(^^;
そもそも現代曲作曲家と呼ばれる皆さんは、常人には信じ難い音をわざと並べたてて喜んでいるんじゃないかと思われる節がある。
「どーだ、こんな和声進行は誰も考えつかないだろー。へへ~ん」みたいな。変人め!
邦人作曲家でも、「サドか!」と怒鳴りたくなるような高音を歌わせて喜ぶ変人が多い。
現に自身の作品を、顔を真っ赤に染め、必死に超音波を叫び歌う児童合唱団の子ども達を見て、泣いて感動していた作曲家がいることを、ワタクシは知っている。幼児虐待か?この変態め!
そしてウチの我がまま指揮者は、そーゆー小難しい曲をやるのが好きだ。
「こんな難しい曲をやっちゃう僕って凄いでしょ」思考なのが、ありありと分かる。自己満足の塊の変態め!
聴いてる方は耳が疲れるし、歌ってるこっちもシンドイわい。
あーあ、今年のコンクールはプーランクかなあ。早く慣れねばのう。

と言うわけで、行くにしろ行かぬにしろ、今日と明日は楽譜と睨めっこせねばいけないので、書けそうにありませぬ。
また来週!

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ようやく今年のコンクルが終わりました。
これでワタクシの夏も終りです。
結果は銀賞。二等賞でしたよー。
金賞の団体さんとの差1点でしたので、惜しいって言や惜しいのですが、正直言って二等賞で良かったと言うか、よくもまあ二等賞が貰えたなあと言うか(^^;
直前二週間近くも練習がなく、当日朝でも「あ、あれ?」状態でしたのに、強引に暗譜したってことで楽譜を外しちゃって、それなのに二等賞…
真面目に盆休み返上で練習していた他の団体さんが知ったら「なんだ、この野郎」だわねえ。
これでうっかり金賞なんか頂いちゃったら、恐縮しまくりの冷や汗かきまくり、次の大会までヒーヒー言っているようでした。
そんな状態での1点差で二等賞は出来過ぎです。
とりあえず脱ビリ!の目標をクリアできたので、それで良し!
昨年の汚名は雪いだぞと。
一休みしたら、またボチボチ体調を整えて、執筆に掛かろうと思います。
(今日は二日酔いでダメダメなのよん。おほほほー)

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今週はバタバタと気ぜわしい一週間でした。
夫の同僚とご近所の葬儀が終り、ようやくひと息だわと思ったら、今度は長野にいる親戚が亡くなりまして。
一週間のうちに3軒と言う、稀にない訃報ラッシュに慄いています。
万札がヒラヒラと飛んで行く~。香典貧乏だわ~。
金曜に亡くなった大叔母の告別式に参列するために、夫は4時半起床で今朝早く長野へ発ちました。
そうしましたら早く出すぎたとかで、8時半にはもう長野に入ってしまったとメールが。
近辺をブラブラしてから大叔母の家に行くらしいです。
なんだか旅行気分でイイわねー。小布施の栗、買って来いやーっ。メールしとこ(^^;
実は櫻井や榎本の故郷は、この大叔母の家の近辺がモデルなのですが、ちょっくらワタクシも取材に行きたかったわねえ。
でもワタクシは一時帰省するアンポンタン娘を迎えに行き、今日一日でパスポート申請させねばならんのです!
その後は娘と買い物して帰ろうと思っていたら、友人のGちゃんに「アンちゃん(アンポンタン娘の愛称^^;)の用が終わったら、遅刻してでもコンクル練習に来なさいよ」と釘を刺されてしまったわ。
ワタクシ達がやっているのは少人数アンサンブルにつき、一人でも休むとバランスが崩れてハーモニーにならず厳しいのです。
それは分かっているけど、でも葬式ラッシュで疲れているのにぃぃぃ。
金曜にGちゃんと電話で「どこを意識して歌ったら効果的に声が伸びるか」と言う話になり、「ヘソの下だ」とか「背中よ」とか「肋骨じゃないの」とか。
ワタクシの師匠は「オッパイの先から声を出す!」と断言してたわね。
別の師匠は「目から出した声で針の穴を通す!」とも言ったわね。
実際にオッパイや目から声が出たら、そりゃ人間じゃないけどさ(^^;
師匠達は「声帯をあと5センチ前に倒して」とか「声を胸にベターッと貼り付けろ」とか「床に落ちてる石を拾い上げる感じ」とか「マヨネーズのチューブをギュッと握って中身がビュルルル!」とか、ホントわけの分かんないこと平気で言うもんね。
声楽家の言うことって独特で面白いですわ。師匠達の個性が出るわね。
まあ、効果的に声を出すには人それぞれ使う場所が微妙に違うらしいと言うことね。
それにしても長年歌い続けていると、なんと体型が欧米化し筒型に変化するのですよ。
人間の体って凄いわよー。進化するわよー。
昔、採寸してくれたワコールのオバサンも「欧米か!」とビックリだったわよー(^^;
ワタクシの場合はこの欧米化骨格を活かして、腰から背筋を使うと上手く行くことが多かったり。
そしてなによりもブレスの計画性が大事なのですが、ワタクシってば無計画すぎてブレスが短い(^^;
大人数ならば誤魔化せても少人数ではバレバレ。致命的!
昨日のコンクル練習ではブレスを長く取るべく背中を意識して歌ったせいで、今日は背筋が激しく筋肉痛。
うーむ、今日も背筋を意識して歌ってくるとしようかね。
8月のコンクルで一等賞になれば、宇都宮にて関東大会。
そこで一等賞を取れば11月に北海道で全国大会が待ってます。
うふふふ、宇都宮か北海道でオフ会ができるとイイわねー(言うだけタダ)

不眠症はだいぶ落ち着いてきましたが、何かあると即眠れなくなるので、今週はきつかったですよ。
来週はもう少し眠れるようになるかな?
サイト再開は秋口を目標にしています。
まとまった睡眠さえ取れれば思考力も戻るでしょうし、そうしたら時間をみつけて書き溜めておかねば!

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ワタクシが「ゴミネット出さねば!」と緊張のあまり眠れない夜を過ごしていた頃、友人のGちゃんもやはり眠れぬ夜を過ごしていた。
ただし、こちらはワタクシと違って高尚な悩みゆえの不眠。

Gちゃん「夏よ~、私がついに呼びえなかったものの名は~、名づけられぬものの名は~♪って歌詞が気になって眠れん!」

「具体的なイメージを持って歌わないと真から歌えないっ!奥深い何かかあるはずなのに!」と、音楽の芸術性を高めたいと言う叫びのメールが届いた。
今ワタクシ達が歌っている曲は、またしてもいわゆる現代曲と呼ばれる、不協和音の連続技が続く面倒臭い類のもので、音も難解だが歌詞も抽象的で難解なのだ。
Gちゃんは声楽家なので、情感を込めて歌いたいと言う思いが強い。さすがプロだ。しかも、とてつもなく美声。
あの美声で「夏よ~」と情感を込めて歌われたら、誰もがうっとりすること間違いなしだ。
この曲のタイトルを「沈黙の名」と言う。作詩は谷川俊太郎氏。
著作権の問題があるので詩の全容を披露するわけには行かないが、気だるそうな空気が流れている詩だと思う。
ワタクシはこの詩を読んですぐに「中学校(女子校)で用務員をしているロリコンオヤジのストーカーじみた呟き」と解釈したが、Gちゃんは「ひと夏の恋」と言うロマンチシズムな解釈をしようとしているようだ。
Gちゃんの名誉のために言っておくが、ワタクシの解釈は普通じゃない。かなり斜め、それも20度くらいの角度から眺めた歪んだ解釈だ。寝転んで鼻をほじってでないと見えないような角度だと思ってくれていい。
この詩を読んだ大多数の人は、「恋の予感に浮かれる若い娘達を眺める私の感傷」とかなんとか、甘く切ない青春の感傷を思い浮かべた解釈をするだろうと思う。
ともかく「私」と言う一人称を男性と捉えるか女性と捉えるかで、解釈は全く違ってくる。
日常的にホモ小説を一人称で書いているワタクシには、「私」はどう転んでも男性にしか見えないが、改めて読んでみると「彼女ら」の母親かもしれないし、姉かもしれない。場合によってはお祖母さまかも。
きっとGちゃんにとっての「私」は女性で、それも母親に近い存在なのだろう。
「ロリコンオヤジ」と即座に断定したワタクシとはエライ違いだ。

「女性」と思って眺めてみると、この「私」と言う人物は、かなり屈折した嫌な女だなーと言うことに気づかされる。
なんせ「夏よ、今年も若い娘たちに教えるがいい」と言いながら、最後には「夏よ、今年も黙っているがいい」と全く正反対のことを言うのだ。
これがロリコンオヤジだったなら、毎年入れ替えが繰り返され、新鮮な若い娘達だけが集められた特殊な環境に…ま、これはいいか。
なぜ「私」と言う女性は、正反対のことを言わねばならなかったのか。
ひと夏の恋と言う、ロマンチシズムな感傷を踏まえた上で、ここに注目してみた。

夏休みは永遠に続くと信じたくなるほど、夏の日々はただただ暑く、季節の変化に乏しい。
そんな気だるく、だが心躍る季節に、少女達は誰もが激しい恋に落ちる予感に震えている。
きっと「私」にも、情熱的で忘れ難い、けれども忘れてしまいたい夏の思い出が過去にあったに違いない。
夏が繰り返し訪れる度に、「私」は年老いた今も(推定年齢76歳)、遠い昔、少女だった頃の感傷に捉われてしまう。
当時は激情だった心の揺れも、今ではすっかり風化して、感情の名残である上澄みを留めるだけだ。
夏独特の開放感に加え、戦後復興著しい高揚感から、裕次郎か若大将の映画のヒロインになりきって、海でナンパして来たチャラ男と交際を始めたものの、秋が訪れる前には破局。
「なんであんな男を若大将みたいなんて思ったのかしら」と自分自身に腹が立つ。
そんなひと夏の恋。ひと夏の思い出。

今も昔も、いつの時代も人は恋をする。
若い娘達に訪れるであろうひと夏の恋を予感して、「私」は自分の過去を振り返りつつ「若いってイイわねー」と斜に構えて眺めている。
もしかすると「私」はひと夏の恋が終わった後で、妊娠に気づいたのかもしれない。そして堕胎。
愛だと信じたものは、ああ勘違いでしかなかった。
身も心もボロボロになり、呆気なく終わった恋を思い出しつつ、小麦色に焼けた肩を剥き出しにし、生足サンダルで闊歩する目の前の若い娘達に過去の自分を投影しているのだ。
そこには「私にもそんな歳だった時があるのよ」と言う懐かしさ、若さへの憧れと嫉妬、そして無防備な若さへの苛立ちがある。
だから「この夏、素敵な恋ができるといいわね」と言う姉のような優しい思いと、「そんなに肌露出しちゃって、襲われたって知らないよ」と言う意地悪な女友達のような思いと、「ボロボロになるかもしれない、ひと夏の恋なんて知らないままで」と願う母の如き慈愛が複雑に揺れ動いているのだ。
そう解釈すると、自ずと「呼びえなかったものの名、名づけられぬものの名」の正体が分かるではないか。
それは育まれなかった命だ。
ひと夏の恋で生まれた小さな命は、名づけられることもなく、「私」以外に知る人もなく、沈黙に守られたまま闇へと葬られてしまったのだ。
そうか、「沈黙の名」の正体は水子だったのか!

……おかしい。また斜め20度で見ているな、ワタクシ。いかん、もっとロマンチシズムにならねば。
こんな解釈をGちゃんに教えたりしたら、彼女の不眠症に拍車が掛かってしまいそうだ。
でも、どうしよう。妙にしっくりと、あるべき場所に収まってしまった気がしてならない。
土曜日に「どう感情を込めればいいの」と叫ぶGちゃんに、とりあえず「埴生の宿みたいな感じの曲だと思うよ」(諸行無常って言うか成す術なし?)と言っておいたのだが、うーむ、これじゃあ分からないだろうな。
この画期的な新解釈を、不眠症に陥らせてもGちゃんに教えるべきか否か。
そしてワタクシはとても黙っていられず、「沈黙の名の正体は水子」とだけ打ったメールを送信しておいた。
何も知らない人が読んだら不気味なだけだが、Gちゃんならば察するだろう。

ここまで書いたら、なんと当のGちゃんから電話がきた。
ワタクシとGちゃんは、多いときには週に4日も電話で喋りまくる仲なのだ。
そしてワタクシは、ワタクシの新しい解釈の全貌を彼女に話さずにはいられなかった。

Gちゃん「それって小説かなにか?水子について調べたの?」
ふぉるて「ううん、全てワタクシの妄想」
Gちゃん「老婦人目線って…でもなんだか凄くしっくり来るわね。ねえ、そこには戦争で亡くなった男への感傷とかはないの?」

そうか、Gちゃんは太平洋戦争で失った恋人を思う気持ちを歌に込めたかったのか。
水子に関しては否定されなかったので、戦死した恋人の子どもを「私」は堕胎したか流産したと、Gちゃんは考えているに違いない。
だがしかし、ワタクシは思う。
そこには失った男への感傷は一欠けらもない。あるのは失った我が子と若さへの極々薄く淡い感傷だけだ。
あまりにも遠い過去すぎて、感情も薄れ掛けているイメージがある。

ふぉるて「ない!(きっぱり)」
Gちゃん「えー、あって欲しいんだけどー。ところでアンタ、今日はなにしてる?」
ふぉるて「今日はね、Yちゃんがマーマレードの消化を手伝いがてら遊びに来るんだよ。Gちゃんも来ない?」
Gちゃん「行く!」

かくして声楽家であるYちゃんと、同じく声楽家のGちゃんの二人が我が家で会することとなった。
ふふふふ、「沈黙の名」について激しい意見交換が行われる予感がする。楽しみだ。

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