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世界が終わるまで7


廊下には溜まった熱気が泥となり、足に絡みついて離れない。
重たい身体を引きずるように、熱気の運河をのろのろと進む。
俺の後ろを数歩離れて、むっつりと黙り込んだ川田がついて来ていた。
黙って縦に並んで歩くことに奇妙な違和感を持った俺は、ああ、そうか、いつもは川田が俺の前を歩いているのかと思い当たった。
並んで歩いていた川田が、一歩先を行くようになったのはいつからだろう。
俺がそこにいることを確認するかのように時々振り返り、瞳の底でうなづく
素振りをするようになったのは……


川田が俺の背中を見ている。
様々な疑念が入り乱れているらしい視線を背中に感じながら、結構、視線とは
痛いものなのだと気づく。
俺もそんな目で川田を見ていたのだろうか。
気づかうような、尋ねるような、射殺すかのような視線で。
教室のドアに手を掛けた俺を、便所を出てから一言も発しなかった川田が止めた。

「授業に出る気なのか」
「当然だろう」
「まだ顔色が悪いぞ。寮に戻った方が……」
「どけ。邪魔をするな。俺は弁護士になると決めたんだ」

おまえとは違う。
剣道を辞めたあの日に弁護士となる誓いを立て、この一年猛勉強して来たのだ。
たったの一年でドン底の成績だったγ2からα1クラスへと脅威的な進化を
遂げた俺を見ろ!
万年ガンツーのおまえと一緒にするな。
俺は堅すぎるほど堅気な仕事に就くと決めたんだ。
将来、おまえがテロに巻き込まれようが、イラクに行こうが、どこで死のうが、
俺の知ったことじゃない。
夢など見る間もないほど働き、平凡で退屈だなどと省みる暇など絶対に作らず、
寝不足でフラフラになりながら激務をこなす、テレビにも引っ張りだこの
超売れっ子弁護士先生になってやる!

「分かった。けど、あんまり具合が悪そうな時には引きずってでも帰るからな」
「……勝手にしろ」

意地でも寮に戻る気などなかったが、100分授業を二講義受けたところで、
吐く物がなくなった胃が痙攣を起こした。
キリキリと捻れる上腹部の痛みに、思わず椅子から転げ落ちる。
まずいなと思った時には、川田がすっ飛んで来ていた。

「高須っ!」
「触るな……なんでもない」
「馬鹿野郎っ! どこがだよ!」

床の上で身体を丸めて痛みをやり過ごそうとする俺に、川田の怒声が降りかかり、
無理矢理抱き起こそうとする腕が絡みつく。
だから、引っくり返る直前の胃の上を押さえるなと言おうとして、夕べも
こんなことがあったなと思い出した。つくづく学習能力のない奴だ。

「なに笑ってんだよ。真っ青だぞ。腹か? 胃が痛いのかっ」

そうか、俺は笑っているのか。
胃が捻じ切れるかと思うほどの痛みを感じながら笑っているのか。
やはり馬鹿が一人傍にいると退屈しないらしい。


俺の頭を自分の胸に押し付けて抱き締めて来る、丸めた身体をすっぽりと覆う
36度と少しの熱さ。
汗で濡れて張り付いたシャツ越しに伝わる体温は、キリキリと痛む身体に優しく、
柔らかだった。


心地良い。
背中を丸めたこの格好は、まるで羊水に浮かぶ胎児だ。
親指ほどもない小さな芽は、36度と少しの熱に守られて、平和で幸せな夢を
見ているのだろう。
決して毒などではなかった。


数多の宗教と価値観、世界観の相違。
政治的な思惑に揺れる世界情勢。
大人の勝手な都合で引き起こされる戦争。
テロリスト達により繰り返される報復劇。
60年経ても尚、肉体を蝕む傷跡。
そして、理不尽なまでに突然すぎる飛行機事故。
今日が平和だからと言って、明日が約束されているわけじゃない。
巻き込まれて死ぬのは、いつでも無力な者達だ。

「川田」
「喋るな。今、立花が保健医を呼びに行った」

低く唸る声に喉の奥が引き攣った。

「笑ってる場合か!」
「どうして震えているんだ。胃が痛むのはおまえじゃなく俺の方だぞ」
「うるせぇ。放っとけよ」
「おまえらしくもない。それでも野獣・川田か」
「喋るなっつってるだろうがっ」

背骨でもへし折る気なのか、抱き締める腕に力が籠もる。
だが、益々熱を帯びる川田の身体が、不思議と痛みを和らげているようで心地良かった。


36度と少しの温かさに包まれて、俺はもっともっと小さく丸くなって行く。
消えて行く痛みに代わり、今度は眠気が襲って来た。
夕べはろくに眠れなかったのだ。
このまま平和で幸せな夢を見るのも悪くない。

「ハル? おい! どうしたっ。なにか喋れっ」

その名前で呼ぶのは止めろ。
喋るなと言ったり、喋れと言ったり、本当にこいつは馬鹿だな。


こんな脆弱な俺は捨てて行け。
おまえは俺のような狭量な人間に縛られて良い奴じゃない。
解放してやる。意地や恐怖からではなく、心からおまえを解放してやるよ。

続く

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世界が終わるまで8

阿世賀先生が乗った飛行機が太平洋上で行方を断ったのは、昨年の秋のことだ。
あれからもうすぐ一年になろうとしている。

「ちょっとアメリカに研修に行って来る」

そう言ったきり戻って来ない人のことを、俺は忘れたことなどない。
この世で一番愛した人を忘れたりはしない。


川田が俺と阿世賀先生の関係にはっきりと気づいたのは、多分あの時だろう。
線香の匂いだけが妙にリアルな葬式で、俺は泣くこともできなかった。
遺体も遺品も見つからなかったというのに、阿世賀先生がこの世にいないという
現実を受け入れることなど、どうしてできただろう。
棺桶の中は藍染の胴着と竹刀が入っているだけだというのに、泣けるわけがない。
白戸先生も矢尾板も、剣道部のOBも誰もが真っ赤に泣き腫らした目をしているのを、
黒づくめの人波の後ろからボンヤリと見ていた。
まるで出来の悪い、陳腐なテレビドラマを見ているようで、全く現実感がなかった。


葬式から帰った晩、部屋に押し入って来た川田は「なぜ泣かない。おまえが
泣いてやらずにどうするんだ。泣けっ」と迫った。

「なぜ泣く? 理由がないだろう」
「阿世賀さんが死んだんだぞっ!」
「やめろっ。死んでない! 帰って来るんだっ!」

「土産はなにが良いか」と笑ったのは二週間前のことだ。「たったの10日間だからな、
浮気するなよ」と身体中に付けられた印は、まだ完全には消えてはいなかった。
ここに付けてくれと強請った肩口のキスマークは、自分の唇が届く範囲を見計らったものだ。
唇を重ねるように、ムキになって何度も吸い上げたそこは、熟した木苺色に腫れている。
赤く熟れた肩を更にきつく吸いながら、自分で自分を慰めたものの勃たなかった。
事故の知らせを聞いた日から、俺は勃たなくなっていた。


一瞬、なんの話だか分からなかった。次に俺を襲ったのは、足元から世界が崩れて行く感覚。
信じることなどできずに、何度も携帯に掛けた。何度も、何度もリダイヤルし続けた。

「お客様がお掛けになった番号は、ただいま電波が届かないところに……」

繰り返されるメッセージに変化はなく、なんで出ないんだ、なにやってるんだと腹が立った。
たとえ殺したとしても死にそうにない奴が、飛行機が落ちたくらいで消えてなくなる
はずがないではないか。
きっとふざけているのだ。皆が、俺が心配しているのを、どこかで笑って見ているに違いない。
そういう子供地味たところのある人だった。


たかが一介の剣道部員が現地に飛ぶわけにも行かず、毎日TVに齧りついて情報を待った。
待って、待って、待ち続けていた俺に、ある日突然、青葉先輩が「明日通夜で、
明後日が告別式だそうだから」と告げた。
決して目線を合わせようとせず、酷く言いにくそうに。
俺はなんと返事をしたのだったろう。覚えていない。
ただ、あの人が帰って来たらビックリするだろうなと思った。
きっと「勝手に俺を殺してくれるな」と笑うだろう。

「死んだなんて言うなっ……殺すぞ」
「高須……阿世賀さんの乗った飛行機は落ちたんだ」
「貴様っ!」
「助かった見込みはないっ」

殴りかかった俺を押さえつけようとする川田と揉み合ううちに、涙が溢れて来た。
泣きたくなどない。泣いたら、あの人がもういないことを認めてしまうことになる。
俺は、俺だけは認めるわけにはいかないと言うのにっ。

「ちくしょう……帰って来るんだ……約束したんだ」
「高須、いいんだ。泣けよ。泣いちまえ」
「ちく……しょう……なんで電話に出ないんだっ。ふざけんなっ。早く帰って来いよ!」

泣き喚きながら暴れる俺にボコボコに殴られながら、川田も泣いていた。
やがて動かなくなった俺を抱き締めながら、声を押し殺して泣き続けた。

「土産はなにが欲しいかって聞いたんだ」
「うん」

もういないのか。どこにもいないのか。
俺の身体を一杯に満たして溢れ返させるあの人は、もう帰って来ないのか。

「……先生って呼ぶと怒るから……アンタとしか呼べなかった」
「……」
「本当は名前で呼んでやりたかったのに……もう呼べない」
「俺が呼んでやる。ハルって呼んで傍にいる」

話が全く通じていない。なんてトンチンカンな奴だ。
そう思ったら、こんな時だと言うのに、ふっと笑みが漏れた。

「バカだな。おまえは、あの人じゃないだろう」
「俺じゃ、代役にもならないか?」
「おまえでイけたら考えてやっても良い。どうせ無理だろうけどな」

泣き笑いした川田のその顔は、なぜだろう、あの人に少しだけ似ているような気がした。
その晩、川田に抱かれた。
川田に抱かれながら、二度と戻らぬあの人を思い、なぜこの温もりではないのだろうと泣いた。
三日三晩、川田は俺を抱き続け、流した涙も枯れ、夢を見ることもなく眠りにつくように
なった頃、二十日ぶりに吐精した俺は、身体が心を裏切ることと、この世に縛り付け
られている自分を知った。
泣いて喚いて疲れ果てた末に、結局、俺は川田を身代わりにしたのだと言うのに、
肉の快感を呼び起こし、俺をこの世に縛り付けたのはおまえだと、全てを川田のせいにした。


最低だ。


川田が俺を縛り付けたわけじゃない。
俺が川田を縛り付けたのだ。

続く

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世界が終わるまで9

しっかりと閉じた瞼の向こう側に感じる、微かなオレンジ色の光。
聴こえているのは、ゆったりと歌うような胸の鼓動。
とくんとくんと身体を揺らすリズムが心地良い。


その音だけが全ての世界で、胎児が幸せな夢を見ている。
他には何も見えず、聴こえず、ただ薄いオレンジ色の光だけを瞼の裏側に感じながら、
自分の指を咥え、僅かに塩分を含んだ液体の中で、ゆったりと響く鼓動に身体を委ね、
ゆらゆらと浮かぶ小さな夢よ。


胎児の口元が微かに微笑む。
誰の夢を見ているのか。それともおまえは誰かの夢の中の者なのか。
ああ、どちらでも構いはしないか。
おまえは川田であり、阿世賀先生でもあり、俺でもあるのだな。


大切なのは、そうして笑って夢を見ることができる時間。
過去から現在、現在から未来へ繋いで行きたい幸せな時。
たった三年とは言え、凝縮された時を過ごし、やがて熟成された思い出の結晶は、
天使の分け前となって空気中に満ちるだろう。
心の底に残された液体は、舌の上に甘く留まり続ける感情そのもの。


そうだ。俺は忘れない。
きっと……




保健室のベッドの上で目覚めた俺の隣に川田の姿があった。
俺の手に唇を押し当てて眼を閉じている。

「……なにをしている」

散々胃液に焼かれた喉からは、情けないほど掠れた声しか出ない。

「敬愛の印なら手の甲への口づけだろうが」
「誰が誰を敬愛してるって? ちげぇよ。これで良いんだ」

もう一度、てのひらに川田の唇が押し当てられる。

「目眩がするほど情熱的だな。どうした」
「……またおまえが変になっちまったかと思った」

そう思われても仕方のない、理性を欠いた言動だった。
いや、もしかすると、あの日からずっと狂っていたのかもしれない。

「変なんだよ、俺は」
「さっきまではな。今はいつものハルだ。顔色もさっきより大分マシになってんな。
 あんま心配させてんじゃねぇぞ」
「……36度のせいだ」
「あぁ?」

36度の気温が俺を狂気に引きずり込み、36度の体温が正気に戻す。
だが、一生こいつの体温を感じて生きるわけにはいかない。
川田は阿世賀先生ではない。川田は川田なのだ。
今更、なにを怯える必要がある。解放してやるのだ。


遠くで雷の鳴る音が聴こえた。
開け放した保健室の窓から、水分を含んだ風が吹き込んで来る。
保健室のカーテンが決まって白いのは何故だろう。
風を孕んで大きく膨らむカーテンをボンヤリと眺めながら、こんな時だと言うのに、
どうでも良いことを考えていた。

「腹の中の赤ん坊な」
「は?」
「産んで良いぞ」

川田の顔は至って真面目だ。
こいつは何を突然、真剣な顔をして言い出すのやら。

「川田、それは話の例えであってだな……」
「おまえが孕んでるって言うんなら、そこに俺がいるんだろ?」

俺の手を離した川田は、その手を移動させ、毛布の上から腹の上を押さえた。
本人は大真面目らしいが、そこは胃だ。子宮を撫でているつもりなら大間違いだぞ。

「……おまえ、カーテンが膨らむのを見て、妊婦の腹を想像しただろう」

「なんで分かったんだ」という顔になるのを見て、やっぱりこいつは単純に
出来ているのだと確信し、自然と緩んでくる頬を引き締めることが出来ない。

「まったく、嬉しくなるほどバカだな」
「そうバカバカ言うなって。俺は鈍いし、口も上手くねぇし、おまえはおまえで
 なんにも言わねぇから、分からないんだよ」

川田にしてはイイ線を突いている。
分からなくて当然だ。俺達は同じではない。どんなに傍にいようが、同じにはなれない。
結局、一人の人間として歩む道は一本だけなのだろう。
二人で一本の道を行くことは有り得ない。
どこかで互いの道が交差することはあっても、各々が自分だけの道を行くしかないのだ。

「おまえが欲しがっているものは何だ。ハッキリ言え。言葉か、物か。どっちなんだ」
「……ひとつ訊いても良いか」
「なんだ。俺がおまえにやれるものなら遠慮なく……」

勢いづくバカを制して黙らせる。

「警視庁SATにしろ自衛隊にしろ、何故なんだ。どうして死と背中合わせになる
 道を選ぼうとする。俺がそういうのはダメなことは知っているだろう。
 理由があるなら教えてくれ」

続く

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世界が終わるまで10

ふざけた奴だが、情に厚く、真剣に問えば必ず真剣に応じる。
思い込んだが命懸けのうえ猪突猛進。抜いても良いところでは遠慮なく手を抜く。
有言実行型で、人に頼むよりも自分で動いた方が早いタイプだ。
日常に緩急をつけるのが上手く、人生を人一倍楽しんでいる節がある。
無茶無謀な言動は今に始まったことではなく、野獣の異名は決して伊達ではない。
なのに、多少のことは「しようがないな、川田だから」と笑って周りが許してしまう。
なぜか憎めない奴だ。

「そうだな。ああ、俺の親父が警視庁公安にいるのは知ってるよな」

黙ってうなづく俺を確認すると、川田は少しばかり照れたように笑った。
川田の親父さんが刑事だという話は聞いている。
40半ばにして、未だに息子に喧嘩を売っては負け知らずというのも、いかにも
川田の親父さんらしい気がする。

「簡単に言っちまえば、親父の影響なんだろうけどな。
 おまえ、地下鉄で起きた爆弾テロを覚えているか。もう10年も前になるか」

10年前の春、カルト集団による地下鉄での爆弾テロがあった。
通勤通学のラッシュアワー時の地下鉄トンネル内での列車爆破は、火災発生と
同時にトンネル内に充満した有毒ガスによる二次災害を引き起こし、死傷者
数百名という前代未聞の大惨事は、日本中を震撼させた。

「あの事件で、親父の妹が死んだんだ。まだ高校生だった」
「おまえの叔母さん……」

川田の親父さんの末の妹さんは、当時高校二年生になったばかり。
齢の近い川田を可愛がってくれ、「まぁくん」「ミカちゃん」と呼び合い、
姉弟のように育ったのだそうだ。
美香子さんは、通学のために毎日利用していた地下鉄で事件に巻き込まれた。

「親父は既に公安にいたからな。現場に借り出され、捜査にも当たったらしい。
 何日も家に帰らず、ミカちゃんを殺したホシを挙げる為に走り回っていたよ。
 警察は事が起こってから動いていたんじゃ遅い、事件が起きる前に阻止するのが
 仕事なのに、妹を助けてやれなかったってな」

身内を殺された刑事は見るも無残だと聞いたことがある。
法の番人でありながら愛する者を守りきれなかった口惜しさと、法の番人だから
こそ黙して語れない理不尽さに引き裂かれる痛みは、想像を絶する。

「亡くなった美香子さんのことが理由なのか」
「あー、いや、違う。切っ掛けみたいなもんだとは思うけどな」
「?」

自分を可愛がってくれていた叔母が、テロに巻き込まれ非業の死を遂げた。
一般市民を巻き込む、無差別な暴力に訴える組織が許せないというのは、
十分な理由になり得るのではないのか。

「あの事件な、警察じゃ予測していたんだよ」
「なにっ……」
「ただ、いつ起きるかまでは正確に掴めなかったらしい。勿論、小学校に入った
 ばかりのガキに親父がンなこた言うわけがねぇ。親父の様子や仲間の刑事達の
 話から、後になって勝手に俺が推測したんだが、多分、間違いねぇ。
 あと一歩のとこまで追い込みながら、お上が動かなかったんだ」

それが本当ならば由々しき問題だ。
大惨事になると分かっていながら、手をこまねいて見ていた警察の責任問題に
発展しかねない。ましてや妹を見殺しにされた親父さんの憤り、焦燥感は
察するに余りある。

「家に来る刑事の連中は、みんな憔悴しきっていたよ。自分達の不甲斐無さに、
 警察のお役所仕事ぶりにな」
「…………」
「警察を中から変えてやろうと思った。だが、これも切っ掛けに過ぎない」

川田も大切な人を失っていたという初めて聞く事実に、俺は打ちのめされていた。
俺と同じ慟哭を既に知っていたからなのか。
そうだ。こいつは自分勝手で人の機微に疎いようでいながら、妙に情に厚い
ところがある。
だから、壊れかけていた俺を放って置けなかったのだろうか。
ところが、

「あー、なんだ。すっげぇ単純な理由なんだよな」

そう言うと、あろうことか川田の奴はニヤッと笑ったのだ。
何故そこで笑う! 笑うような場面か、ここは!
仲の良かった叔母をテロで亡くし、腐敗した警察組織の変革を誓っての
ことではないのか!
理不尽な人の死が許せないのだろう? 
何の非も無い人間が、テロに巻き込まれるのが許せないのではないのか?


俺は許せない。だから弁護士になるのだっ。
阿世賀先生が死んだ飛行機事故も、今いち不透明なまま強引に示談にされてしまった。
俺が弁護士になろうと思ったのは、あの事故があったからだ。
あれが許せないだの、これが気に入らないだの、気に入っただのと滅多に口に
することはないが、実は結構、俺の正義感と常識は強かったりするのだ。
だから、強きを挫き、弱きを助きつつ、国を相手に堅実な商売をする弁護士になる!
そのために必死で勉強した。ドン底に近い成績が飛躍的に伸びたのは、阿世賀
先生の死を無駄にしたくなかったからだ。
そして、おまえは親父さんの志を継ぐのではなかったのかっ!
不意に川田の両手が俺の頬を挟んで引き寄せた。

「なんだ、なにをする!」
「おまえだよ。おまえが理由だ」

続く

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世界が終わるまで11

胃痙攣を起こして倒れた病人を襲うのはどうかと思う。
ベッドに這い上がろうとする川田を押し留め「落ち着け!」と叫ぶ。
病人を残して、保健医は一体どこに消えたんだ!
一見おっとりとして、いかにもお人好しげに見える保健医だが、なにかと言うと
病人に留守番を押し付けてどこかへ消える、あのいい加減野郎。
どうせ今も内科医を呼んで来るとかなんとか、川田に後を任せてコレ幸いと、
ホイホイ出掛けて行ったに違いない。サボリ魔めっ。

「落ち着いて説明しろっ」

不満気に唇を尖らせた川田は、ベッドに腰掛けると俺の頭を抱き込むようにした。
ああ、まただ。
ゆっくりと響く胸の鼓動と36度の体温に、すっぽりと包まれたことを意識する。
半ば強引に川田に向かって捻られた上半身が軋んだが、顔を覗き込まれるよりマシだ。
「おまえが理由だ」などと言われて、ポーカーフェイスでいられる自信などなかった。
ふざけるな……ふざけるんじゃないっ。
そんな理由が信じられるとでも思っているのか。

「おまえさ、俺が死と背中合わせの仕事に就きたがるって言ったけどよ、俺が死ぬと思うか。
 死なないって。俺は絶対に死なない。死ぬはずがねぇだろ」

この馬鹿は、どこまでも馬鹿だな。
だから人間は自転車に轢かれても死ぬこともあるのだと言うのに。
一度、幼稚園児の暴走三輪車にでも撥ね飛ばされてみたら良いのだ。


警察は予測していたかもしれないが、地下鉄で亡くなった被害者達は、あの日、
自分の命がここで潰えることなど、誰も知らなかったのだ。
あの日、飛行機が落ちることなど、誰が知っていたというのだ。
……人は死ぬ。
天寿を全うした末であろうが、不慮の事故によるものであろうが、死は死だ。
ゴキブリよりもしぶとそうに見えても、川田とて不死身のわけがない。
それが分からぬ川田ではないはずなのにっ。

「阿世賀先生の事故を忘れたわけじゃないだろう! なんでおまえはいつもそうなんだ!
 いくら野獣だからってな、死ぬ時は死ぬんだよっ。それともなにか、おまえはゾンビか!」

顔が見えないのを良いことに言いたい放題の俺の頭をかき抱き、川田が喉の奥で低く笑う。
俺の耳はさぞかし赤くなっていることだろう。

「俺が死んだら、おまえ泣くだろう。そしたら誰が抱き締めて慰めてやるんだ。
 そんな大役を果たせるのは俺しかいねぇだろうが。だから死なないんだよ、絶対にな」
 
川田の言う通りだ。
ある日突然、美香子さんを失った川田や親父さんの哀しみと怒りは、阿世賀先生を亡くし、
今また川田を失うかもしれないと思うと乱れる俺の感情と合致する。
阿世賀さんを亡くした時、こいつがいてくれたから俺は泣くことができた。
なのに、こうして憎まれ口を叩き合う喜びを取り上げられたら、俺は抜け殻になってしまう。
戻ることも進むこともできずに、そこで永久に立ち止まってしまうだろう。
だからこそ、SATや自衛隊だのを選ぼうとする川田は許せない。
どこへも行くなとは言わないが、せめて安全が確認できるところにいて欲しいと思うのだ。


だが、言って「分かった」と素直に聞くような男ではない。
こうと決めたら梃子でも動かないだろう。
それが分かっていながら縋りつく真似など、みっともなくてできるものか。
そのジレンマがツワリを引き起こした。
川田に縛り付けられているとばかり思っていた俺が、実は川田を俺に縛り付けて
いることに気づいたせいだ。
気づいてしまえば事は簡単だ。俺に覚悟があれば良い。
解放してやると決めたのだ。どこへでも好きなところへ行けばいい。
ただ、行けよと笑って言えるだけの、納得できるだけの理由が欲しかった。
そう思うことすら、もしかすると俺の我がままなのだろうか。
黙り込んだ俺を見て、川田の手がガシガシと俺の髪を引っ掻き回した。

「子供地味たことなどするなっ」
「バカ、いい加減気づけよな」

気づいているさ。
おまえは突拍子もなくデカすぎて、俺じゃ満たしてやることもできない。
阿世賀先生を失って壊れかけていたあの頃とは違う。
阿世賀先生の記憶も、川田の記憶も、全ては俺の中で夢見る胎児となって残るだろう。
だから、こいつは世界に放してやるのだ。

「もう守ることすらできなかったガキの頃とは違う。何もできない子供じゃないんだ。
 自分の意思でできることがあるってのは良いもんだよな。ただ無性に守りてぇんだ。
 その手段がSATだと思った。公安には親父が幅を利かせてるからな。同じテリ
 トリーで張り合うのは真っ平ごめんだ。だからSATだったんだけどな、
 自衛隊って選択肢もあることは漠然と思ってはいたよ」 

それが理由なのだな。俺をではなく、国を、全てを守りたいのだろう。

「最初から素直にそう言えば良いものを、おまえは回りくどく……」

川田の唇が言葉を塞いだ。
条件反射で一瞬絡み合った舌を離して、川田が笑いかける。

「なぁ、ハル。なんでだろうな、この国を守るってぇのは、俺にとっておまえを
 守るのと一緒なんだ。おまえが生きる国だから愛おしい。日本てのは、
海があって山があってさ、川が流れて、なんかこう綺麗な国だろ。おまえ、桜、好きだよな。
 どっかのバカな国が日本でドンパチ始めたら、俺がすぐに止めさせてやる。
 毎日、おまえが仏頂面して書類を睨み疲れた後、桜の花見て笑えるようにしてやるよ。
 阿世賀さんの代わりに俺が守る。そう決めたんだ」

バ……バカがっ。なにを言い出すのだ、こいつは!
そもそも毎日花見などできるものか。桜は四月の一時期しか咲かないのだぞ!
あまりのバカさ加減に涙が出て来る。
おまえが、とてつもなくバカだからいけないのだ。
あまりにもデカすぎるから悪いのだ。

「バカ、泣くんじゃねぇよ。照れるだろが」

川田の腕に力が籠もる。
36度の体温が、胎児のように背中を丸めた俺を包み込んだ。

続く

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世界が終わるまで12


「……それで良いのか」
「あ? なにが?」
「俺は守られているだけで良いのかと聞いているんだっ」

単細胞であることは分かっていたが、まさかそこまでスケールの大きなバカとは
思わなかった。
命を張って守ると言われれば嬉しくなくはないが……恥ずかしすぎる。
思わずホロリとさせられた照れ隠しも手伝い、勢い語調がキツクなってしまうが、
このガタイ、この性格で、可愛く甘えたふりなど、今更できるわけがない。

「なんで一緒にと言わない」
「だってよ、おまえデスクワーク向けになっちまったじゃねぇか」
「うっ……」

否定はしない。いや、できない。
剣道部を辞めてから、労力を強いられるのは苦手になった。
肉体労働が苦手とは言わないが、俺は頭脳派に変貌したのだ。
弁護士は知力体力共に充実していなければとても勤まらないが、走り回るだけで
事が解決できるほど単純な仕事ではなく、人より頭を使ってナンボの世界だ。
とは言え、ブレーキのイカレたブルドーザー並みに強引に押し切り、なんでも
体力勝負に持ち込もうとする川田とは対極にいようと、意地になりすぎていた
かもしれない。
今ならばその理由は明らかだ。

「まるで割れ鍋に綴じ蓋だな」

そう言って笑った川田の顔が真顔に戻る。

「頼むから壊れないでくれよな」
「……そんなにおかしかったか、俺は」
「ぞっとした。もう二度とごめんだ」

あの日から、どれほど川田に救われて来たことか知れない。
茫然自失となった後にやって来た、突然のパニック。自分でも気が狂ったと
思ったあの日から、俺は川田に依存しながらも、どこまでも阿世賀先生に忠実で
あろうとした。
あの人がもう存在しない事実に蓋を被せ、自分だけが生き続ける理由を憎んだ。
川田の眩いばかりの生命力に救われ、どうしようもなく惹かれながら、それは
阿世賀先生の存在を否定することに繋がるようで、自分で自分を許せなかった。
あの人を奪った世界を、生きろと強要した川田を、川田に依存する自分を憎んだのだ。


抱き締められるままに体を預ける。
この体温を覚えておこう。
耳をくすぐる声を刻んでおこう。
昨日の川田でもなく、明日の川田でもない。今日の川田を覚えておこう。

「なんでおまえみたいな奴が、黙って俺なんかに抱かれてるんだか、ずっと分からなくてさ。
 だけど、俺はハルじゃなきゃダメだし、多分、おまえも同じなんだろうって思っててよ。
 俺がおまえの体温じゃなきゃ感じないように、おまえもきっと同じなんだろうってさ。
 抱いてんのは俺のはずなのに、時々、おまえに抱かれているような気分になるんだよ。
 抱いているはずなのに、抱かれて、抱き合って、満たし合うのが堪らなく良い。
 おまえの中に俺がいるように、俺の中にもおまえがいて、お互い孕み合ってんだよな。
 なぁ、36度ってのは、そういうことなんだろ? それって生きてる温度だよな。
 おまえの中の阿世賀さんを消す必要なんかないんだ。阿世賀さんごと俺のものになれよ。
 ハルはハルだから良いんだ。他に理由なんかねぇんだよ」

鈍いくせに、サラリと言ってくれる。
川田の不安は、そのまま俺の不安だ。
何故、川田でなくてはいけないのか……結局、いくら探しても、どこにも理由など
ありはしない。
ただ、俺には川田でなければダメだという事実があれば良いのだということに、
今頃になってようやく気づいた。

「俺とおまえは全然違うよな。違うから良いんだ。それで良いんだよ。大体、
 俺が二人もいたら気持ちが悪くていけねぇや。だってそうだろ、それじゃ
 マスターベーションと変わらないじゃねぇか」

器からはみ出すような川田を、俺が満たしてやれているとは到底思えない。
だが、こいつが満たし合っていると思うなら、俺を孕んでいると感じるのなら、
俺がして来たことは馬鹿げた独りよがりで終わらずに済む。
男同士で孕み合うなどと、不毛なうえに気色悪いことこの上ないが、俺達には似合いだ。

「……なるほど。良く分かった」
「そうか。んじゃ、俺、絶対死なないからよ、SATか自衛隊に行っても良いよな」
「止めたところで聞くようなタマか。そうだな、俺は志望先を一時保留にしても良いぞ」
「ああ? おまえ、なに言ってんだ」
「守られているだけで俺が満足するとでも思ったか。だからおまえはバカだと言うんだ」

たった今、生まれ落ちようとしている赤ん坊も、18の夏を生きる俺達も、78の祖父も、
誰もが命の終焉に向かって一所懸命に生きている。
限りある生命だからこそ眩く輝き、愛しい。
たったの三年でも、共に過ごした時間は濃厚で、忘れ難いものになるだろう。
思い出という名の凝縮された時は、やがて天使の分け前となり、俺達の間を満たすのだ。


自分が死ぬのは怖くないが、愛する者を失うことは怖い。
置いて逝かれる恐怖感は理屈では克服できない。
祖父の足を奪った戦争も、美香子さんの命を奪ったテロも、阿世賀先生を奪った
飛行機事故も絶対に許すことはできない。
川田までをも奪われるかもしれない恐怖に、毎日怯えて暮らすなど真っ平御免だ。
同じ生きるのならば、笑って過ごしたいじゃないか。

「弁護士になるんじゃなかったのかよ! なにも俺にくっついて来るこたねぇんだぞ。
 ハルはハルだから良いんだって、今話したばっかじゃねぇか」
「安心しろ。T大法学部には行く」
「その後はどうする気だ。まさか……」
「国家公務員?種試験を受ける」
「なんだとぉ」

どうせ川田のことだ。馬鹿正直にノンキャリアから這い上がるつもりだろう。
ならば俺は真っ直ぐに警察庁のキャリアを目指す。
キャリアならば入省した時点で警部補、三年半の見習い期間終了後には警部だ。

「知っているか。歴代の警察庁長官も警視総監もT大法学部出身が多いそうだ」
「……」
「しかもだ、警備・公安畑出身がご歴代の半数を占める」
「おまえっ、親父のところに行く気かっ」
「さあな。SATだかSPだか知らんが、そいつも警備部だったような……」

慌てふためく川田の顔を見るのは小気味が良かった。
俺を泣かせた罰だ。
あの日、川田がいてくれたから、俺はこうしてまだ生きている。
一番大切にすべきは、残された思い出じゃない。生きている人間なのだ。
予定していた人生とは大分変わってしまったが、あの人も笑って許してくれるだろう。
あんたが呼んだように俺を「ハル」と呼ぶこいつを信じる。
俺が憎んだ世界を守ると言うこいつを信じよう。
そうしたら、俺もこの世を再び愛せるようになれるだろうか。
あんたが生きた世界を、俺達が生きるこの世界を愛したい。


それで良いんだろう? なぁ、先生。

終(以下、あとがきもどきです)

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