忍者ブログ
東日本大震災で被災しました。PCが壊れ、ビルダーも壊れた為、サイトは書庫化しています。
[1]  [2]  [3]  [4
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

いわゆる警察官と呼ばれる職業に従事する人間は、この日本に約26万人いる。
この26万人の警察官のうちのほとんどが地方公務員試験に合格した者達で、
国家公務員?種であるキャリアと区別する意味でノンキャリアと呼ばれている。
そのうち、一般に「お巡りさん」と呼ばれる外務警察官は約8万人。
一方、キャリアとノンキャリアの確執、軋轢を緩和させる目的で後から設置
されたと言われる、国家公務員?種試験を通った200人余り準キャリアのほと
んどは技術者で、普段は私服の上に白衣を羽織り、研究所関係に籠もってい
ることが多いと聞く。
ではキャリアはと言えば、全国に500人もいないはずだ。
たったの500人余り。ほんの一握りのエリート。それがキャリアだ。
全ての警察官のトップに君臨するのは警察庁長官だ。
だが、警察庁長官は階級ではなく職名のため、実質上の警察機構のトップは
警視庁の長である警視庁総監である。
警察機構は完全なピラミッド型の階級身分制を形勢しているのだ。


階級社会の常であるように、警察も底辺の仕事が一番キツイ。
TVドラマでお馴染みの刑事達による犯人捜査、あるいは要人擁護、交通整
理などばかりが一般的に知られているが、仕事はそんな単純なものではない。
繁華街にある交番などを訪ねれば分かることだが、拾得物処理、道案内、
酔っ払いや迷子の世話、挙句の果ては夫婦喧嘩の仲裁まで、驚くほど広範囲
に渡る仕事内容は「よろず相談所」と言った様相を見せる。
多くの警察官は、市民の苦情処理に振り回される毎日だと言っても過言ではない。
だが、この底辺を支える外務警察官が、実は一番尊い存在だ。
頻繁に市民と接触する交通警察を除き、一番多く、深く地域住民と密接に
関わっている「お巡りさん」が、本当は一番偉いのだ。


しかし、川田が目指している場所はそこではない。
警視庁特殊急襲部隊。あるいは自衛隊特殊部隊か。
特殊部隊に入隊すると、警察官名簿から名前が削除される。
名前は無論、顔、経歴、所属部署等の一切が国に保護されるのは、隊員を
テロ組織から守るためだと言われている。
そのため、たとえ同期であっても、SATに所属しているメンバー以外は、
今現在、そいつがどこで何をしているか、誰も知らないらしい。
まるで幽霊の武装集団だ。
もしも川田がSATに入れば、そうそう簡単に逢うことは叶わないだろう。




「なぁ、本気なのか」
「くどい。同じことを何度も聞くな」

9月になり、いつもと変わらぬ日常が繰り返されていた。
ただひとつ以前と違うのは、未来について川田と語る機会が増えたことくら
いだろうか。
語ると言ったところで、川田が恐る恐る説得に来るのを俺が撥ね付けるだけ
なのだが。

「弁護士になりゃ良いじゃねぇか。なぁ、そうしろよ」
「まだ分からないと言っているだろう。選択肢を増やしただけだ。なにが悪い」
「悪いかって言われると、悪かねぇけどなぁ」

俺の部屋に臭い防具を持ち込み、手入れををしていた川田の手が止まる。

「弁護士の方が向いてるって。自分でもデスクワーク向けだって分かって
 んだろ?」
「そうでもない。元々、俺は官僚向けの性格だからな、警察庁長官だの防衛
 庁事務次官だのが似合うとは思わないか。高須警察庁長官……良い響きだ」

ここ数年の警察人気には目を見張るものがある。
今や大蔵省を抜いて一番人気、?種合格のトップクラスがゾックリと警察に
入っているそうだが、素人目にも分かりやすく、国民を守るという具体的な
仕事であり、出世が早く、若くして現場指揮官に就き、人に頭を下げること
も少ない職業というのは、それだけ魅力的ということなのだろう。


どの世界に入ろうとも、どうせならば気持ち良くトップを目指したい。
俺は川田と違い、底辺から這い上がろうなどという手間は掛けない。
最短距離で目標に到達するために、合理的、且つ最も効果的であろう道を
選択する。
在学中に司法試験に通ってしまえば、?種採用試験でも最難関と言われる
「法律部門」もそう怖くはない。目指すは一桁合格だ。

「司法試験は受ける。一発合格とまでは言わんが、長い目で見れば一、二年
 の遅れは遅れのうちに入らんだろう。言っておくが、おまえの邪魔をする
 つもりはないから安心しておけ」
「ったくよぉ、黙って俺に寄り掛かってりゃ可愛い気もあるってもんだろが」
「なにか言ったか」
「いいや、なんでもねぇよ」

俺がキャリアで警察庁のトップを目指すと宣言したことが、川田にとって
吉と出るか、それとも凶と出るか。結果は四年後のお楽しみと言ったところだ。
地方公務員の警官では、まず順調にコンスタントな昇進は無理だ。
「ノンキャリアが30歳前後で警部になれる」というのは、ノンキャリアが
最速昇任した場合の仮定範疇を抜けず、警察官採用パンフレットの中だけの
夢の世界だ。
実際は40過ぎで警部になれるかどうか。それでもトントン拍子に、とは言い
難いらしい。


40歳のキャリアは間違いなく警視長になっているだろう。
川田のプライドの高さから言って、川田が警部で俺が警視長だなどと言う
事実は、到底許せるはずがない。
実際に川田が高卒で警察に就職するはずはなく、本年度インターハイ団体戦
優勝オーダーの大将である肩書きと個人戦準優勝の銘をかざし、剣道をやる
ために堂々と大学に行くだろう。
既に幾つかの大学からオファーが来ていると聞いた。
警察の門を叩くにしても、当然その方が有利であることが分からない奴ではない。
故にペエペエの巡査からスタートするとは思ってはいないが、こいつは本当に
バカだから、下手をすると意地になって底辺からトップを狙いかねないところがある。
取り扱いには要注意人物だ。

「高須警察庁長官ねぇ。高須最高裁裁判官の方が似合うんじゃねぇか」
「さぁな」

続く

拍手[0回]

PR
川田の溜息を背中で聞きながら、持ち帰った学園祭に関する書類のチェックを続ける。
今年、櫻井が会長職を務める生徒会で、俺は生徒会議長を勤めており、川田までもが
柄にもなく学年生徒会の三学年長を引き受けていた。
生徒会などには縁がなさそうな川田が関わっているのは、俺の精神状態が二年の終わり
頃まで不安定だったせいだろう。要するに傍で見張られていたのだ。
それと気づくまで半年ばかり掛かったが、不思議と腹は立たなかった。
元々川田とは行動を共にすることが多かったせいか、傍にいて当然と思っていた
こともある。
だが、阿世賀先生を亡くした後に剣道部を去った俺だったが、川田を手放すこと
だけはできなかったのだ。そして川田も俺を放そうとはしなかった。
それを良いことに曖昧な関係が続いていたが、己の業の深さに気づいてしまった今、
いずれ白黒はっきりさせなければならないだろう。
不透明な将来を思い、そっと溜息を吐いた俺は書類に視線を戻した。


法的にヤバイと思われる危険イベント案を、大真面目に提出して来るクラブは相当数に上る。
頭が良いのか悪いのか、それとも生徒議会を試しているつもりなのか。
国公立大学進学率80%を誇る城西と言えども、この学校は紙一重の場所にいる奴が
多すぎる。
教師、生徒共にマッドサイエンス野郎がひしめき合う校内を野放しにすれば、
実験棟の一つや二つ、あっと言う間に吹き飛んでいるだろう。
一回でも成功させればAO推薦合格は手堅いだけに、毎年一、二年による先走った
危険なイベント案がなくなることはないが、毎年似たような企画を持ち込むあたり
独創性に欠け、呆れるばかりだ。

「それとも指導教員の趣味なのか」
「あ、なにがだ。手作り打上げ花火? またコレかよ。保健医も懲りねぇなぁ。
 去年もボツったんだよな、確か」

化学部のコレは、常識から言ってボツの書類の山に入れるべきものだ。
保健医のくせに部活顧問を買って出る鴫原先生の飽くなき探究心は賞賛に値するが、
あれほど消防法に引っ掛かると、助言を続けている我々を一体何だと思っているのか。
先日も、学内イベントで打ち上げられる、いわゆるポカと呼ばれる音と白煙だけの
花火を盗み出し、解体していたことがバレ、校長からコッテリ絞られたはずだが、
この企画書を見る限りでは、全く動じていないらしい。
校長と鴫原先生は縁続きだという噂があるが、それにしても甘い。甘すぎる。

「もしも10年後に保健医が消防法でしょっ引かれるとしたら、おまえはパクる側なのか? 
 それとも弁護する側になるのか? どっちだ」
「いい加減にしろ。今から気にして何になる。そんな先のことは分からん」
「そうかぁ、今から考えておいた方が良いんじゃねぇか。こいつはヤバイぞ。今年の
 保健医はやる気十分と見た。花火は完成しちまったみたいだな」
「なにっ」

川田の手から企画書を引ったくった俺は、書類の下の方に申し訳程度に小さく
「試作品開発済み。打上げさせてね」と書いてあるのを見つけ目を剥いた。

「すぐに廃棄処分させるっ」

いくら医者とは言え、花火製造にはド素人の鴫原先生が、火気危険物取り扱い免許もなく、
勝手に打上げ花火を作ったなどと言うことが外部に漏れれば、ただでは済まなくなる。
のほほんとした鴫原先生に悪気はないとは言え、化学活動に関しては叩けば際限なく
怪しげな埃が出る身体だ。
下手をすれば公安にマークされても文句は言えない。

「絶対に持ち出させるな。実験棟内で処理する」
「一回くらい、どこかで打上げさせてやりてぇけどなぁ、しゃーねぇか」
「櫻井に連絡している暇はないな。付き合え、川田」

共に実験棟に向かう男の横顔は嬉々としている。
鴫原先生印の怪しげな花火……というよりも爆発物が、どのような形態の物かも
分からないうちから、既にこの状況を楽しんでいる様子が伺えた。
平凡な俺の毎日に注がれる、適度なストレスと過剰すぎる刺激の元凶。
世界を丸ごと、俺のために守ると公言して憚らないキザな大バカ野郎の顔には、これから
爆弾処理に向かうというのに、緊張感も義務感も見当たらない。

「少しは緊張したらどうだ。どんな代物かも分からないのだぞ」
「大丈夫だって。作った本人に処分させりゃ良いんだからよ」

ふと、何故、俺はこんなことに首を突っ込んでいるのだろうと不思議な気分になった。
思うようにならない自分と他人の狭間で、諦めにも似た平凡で退屈な日々に甘んじて
いた一年前ならば、他人が爆発物を作ろうが、どこで爆発させようが、俺には関係のない
出来事だった。
「ああ、またバカがバカをやっている」と高みの見物を決め込んでいただろう。
わざわざ自らの手で廃棄処分に向かうなど、自分のやっていることが未だに信じられない。


あれから腫れ物に触ると言った周りの反応のお陰で、未だにツルむという行為には
慣れないが、他の誰かといる時よりも川田と一緒の時だけは、自分は一人ではない
のだと実感できる。
元々人に自分を説明するくらいならば、分からないままでいてくれた方が面倒がないと
思った来た。それはバカ殿を演じていた頃から変わらない。
他人が俺をどう思おうが、そいつの勝手だ。
誰かに理解して貰いたい、そのために努力しようなどとは思ったこともない。
川田が現れるまでは……


いや、もしかすると川田に理解して欲しいと思ったこともなかったかもしれない。
そう思う前に、川田はいとも簡単にスルリと俺の中に入り込んでいたのだから。
共にいることがあまりにも自然すぎて、何かを欲することさえも忘れていたのだ。
隣を歩く脳天気な男の横顔を伺いながら、今、はじめて心から川田を欲しいと感じていた。


一般規格から十分はみ出した川田は、俺の手に負えるとは思えないし、敢えて危険と
隣り合わせに生きる道を選ぶなど、やはり俺には理解できない。
だから、臆面もなく「おまえがいる世界だから守りたい」などという恥ずかしい言葉で
俺を縛りつけ、そのくせ離れて行こうとする男など、こっちから世界に放り出して
やろうと思ったはずだった。
言葉は形に残らない。口にした傍から消えてなくなる言葉など、なんの約束になるだろう。
どこかで繋がっているのだと実感できるならば、一瞬で消えてしまう言葉などいらない。
結局、川田を信じることだけが残された道なのだ。

「川田、二度は言わないから良く聞けよ」
「な、なんだよ、急に。怖ぇな」
「世界ごと俺を守りたいと言うのなら、守らせてやる。SATにでも入って存分に働け」
「おいおい、随分と偉そうじゃねぇか。どうしたんだ」

こんな奴でも、俺の口から「SATに行け」と言われれば嬉しいのだろう。
まるで許しを得た犬が餌に喰らいつかんばかりな顔になったのを見て、つい頬が緩み
そうになり、慌てて引き締めなければならなかった。

続く

拍手[0回]

「黙って聞け。守られることに異存はない。だが、ただ守られているのは我慢がならない。
 俺は俺の都合で警察庁のトップを目指すぞ」
「んなこと言っちゃって、おまえ、やっぱり俺と一緒に……」
「勘違いをするな。俺はSATなど真っ平御免だ。おまえとは違う」
「あ〜、そりゃ俺とおまえは別人だけどよ」
「それで良いのだろう? これ以上、俺に自分を説明させるな」

他人に自分を説明する瞬間ほど、恥ずかしいものはない。
俺に川田を理解できない部分があるように、川田が俺の全てを理解することはできない。
なにもかも分かったふりなどできはしないし、川田にもして欲しくはない。
ましてや一心同体を振りかざす気も全くないし、今後も互いに要求し合うことはないだろう。
だが、同じ一本の道の上を歩むことが不可能でも、並走することくらいはできる。


川田が俺のために世界を丸ごと守りたいと言うのならば、やらせてやる。
その代わりと言うわけでもないが、こいつのためにできることをしてやろう。
世界一安全な国と謳われた日本も最近では怪しいものだ。
いつ頭上をパトリオットミサイルが飛び交っても、おかしくない状況になっている。
世界情勢全体が危うい今、今後は国際テロ組織の日本潜入も頻繁に起こり得る可能性が高い。
海外テロに触発され、国内テロも活発化する恐れもある。
そんな中で川田が先陣を切って働くと言っているのだ。
俺ができることは、川田の仕事の邪魔になるものを可能な限り排除すること。
何年掛かってでも、川田が存分に腕をふるえる環境を作ってやる。
そう決めたのだ。

「なんか妙だな。国相手に悪徳弁護士やってやるって、あんなに言ってたのによ。
 けど、説明する気はないんだよな。ふーん」
「なんだ、どこへでも好きなところへ行けと言われて嬉しくないのか」
「そりゃハルのお許しが出たんだから、嬉しいに決まってるだろうが。大手を振って
 行けるもんな。おう、行くぜ。五年後には警視庁SATでバリバリやってやる」

弁護士になろうが、警察に行こうが、頭脳勝負に大差はない。
現役SAT隊員は体力気力共に充実した若手独身男性に限られるらしい。
もっとも調べようにも警視庁のガードは固く、SATに関する情報はマスコミが流した
毒にも薬にもならない程度のものばかりだ。
本当のところは実際に入省してみなければ分からない。
いいだろう。せいぜい川田が現場で走り回っている間に、じっくりと基盤を固めてやるさ。
川田がSATで中隊長に上り詰める頃には、俺は管理官で幕僚入りというのも悪くない
などと内心でうそぶいてみる。

「あんだよ。ニヤニヤ笑いやがって気味が悪いぜ」
「いや、将来の展望が見えたなと思ってな」

どことなく明るい未来に燃える高校生らしい会話などをしながら、目指す実験棟に
近づいた時だった。
ズドンと腹に響く鈍い音と共に、派手にガラスの割れる音がし、一瞬顔を見合わせた
俺達は、連続して鳴り続ける音に向かって走り出した。


実験棟の入り口から、五、六人の白衣を着た生徒達が白煙に追われるように飛び出して来る。
転がるように地面に這いつくばった一人を抱き起こすと、煤けた顔が目に入った。

「しっかりしろ! どうしたっ。なにがあったんだ」
「し、試作の……花火が……」

煙を吸い込んだのか、どの生徒も激しく咳き込んでいる。
この音、この匂い……鴫原先生、やってくれたな。

「あちゃ〜、夜空に咲かせる前に爆発させやがったのか」

一階の割れた窓から白煙が猛然と上がっていた。
幸い今のところ火の気はないようだが、火気取り扱い注意の貼り紙だらけの実験棟では、
なにが起こるか分からない。

「火は、火は出たのか! おい、どうなんだ」
「わ、分からな……とにかく外へ出ろって鴫原先生が……」
「もしもの時はスプリングクーラーが作動するはずだが……おい、川田! なにをしているっ」

気づいた時には、水場で頭から水を被った川田が、建屋に飛び込もうとしているところだった。
濡れて張り付いたシャツの下に、この状況下で緊張させているらしい筋肉が浮かんでいる。
ガタイの良い身体が倍に膨れ上がったかのようだった。
まるで警戒心を剥き出しに逆毛を立てている美しい山猫のようだと、一瞬見とれて
しまった俺は振り向きざまに不敵な笑みを見せた川田にハッとさせられた。

「なにって、ちょっくら中の様子を見てくらぁ」
「バカなことはよせ! 消防が来るまで待つんだ!」
「まだ中に鴫原がいる。バカなことじゃねぇだろ」

傍目に分かるほど緊張感を漲らせ、危険と対峙した際にのみ見せる野生の輝きを全身から
放ち、うっかり触れば火花が散りそうだ。
川田のこの性格は、いい加減諦めなければいけないと思いながら、諦めきれない
ジレンマにまた身を焼かれそうだった。
鴫原先生が作った花火だ。まさか殺傷力がある代物とは思えないが、もしものこともある。
この爆発の衝撃で、揮発性の薬品に引火でもしたら……ゾッとした。
冗談ではなく、俺の顔色は変わっていただろう。

「やめろっ。行くんじゃない!」
「バーカ、言っただろう。俺は死なねぇよ」
「おまえは武田なんちゃらかっ! 笑えん冗談はよせっ。川田っ!」

だが、「すぐに戻る」と言い残した男は、未だ白煙を噴出し続ける建屋へとその姿を消した。

続く

拍手[0回]

煙を吸い込んで地面に転がる生徒達の姿は、10年前の地下鉄爆破テロ事件を彷彿と
させるのに十分だった。
狭いトンネル内に充満した有毒ガスを含む煙は二次災害を引き起こし、本来助かる
はずであった人の命をも奪った。
川田の叔母である美香子さんの命も煙に巻かれて消えたのだ。

「ガキの頃とは違う。自分の意思でできることがある」

そう言って笑った男は、躊躇いもせずに煙の中に飛び込んで行った。
性格だと言ってしまえばそれまでだが、昨日今日の覚悟でできることではない。
身内を爆弾テロで亡くした人間が、そう簡単に爆破の恐怖を克服できるものか。
現になんのトラウマもないはずの俺でさえ、こうして噴煙を上げる建屋を見上げる
だけで身体が震え、足が竦むのだ。
今更ながらに川田の覚悟はとうの昔にできていたことを突きつけられたような気がして、
俺の知らないうちに、俺が思っていた以上に、あいつは自分の道をシッカリと見つけて
いたことが改めてショックだった。


どこが「高校生らしく明るい未来を語る」だ。
川田がSATなんぞに行けば、毎日のように奴の身の安全を願わずにはいられないだろう。
その日を無事に過ごしてくれと祈るだけで精一杯な俺に、明るい未来を夢想する余裕など
あるのか。
煙の中に消えた後姿が最後に見た川田にならないとも限らないことを今更ながらに思い、
指先までもが震えて止まらない、この俺に!


安穏と待つだけの生活を夢見ていられるほど、凡庸な奴を傍に置いた覚えはないはずだ。
あいつがただの猪突猛進バカではないことくらい、とっくに分かっている。
なんのために吐くほど悩んだのだ。悩んだ末に出した答えを忘れたのか?
川田はとっくに覚悟を決めていたというのに、なぜ俺は一人こんなところで祈っている?
ここで祈るだけが俺の成すべきことなのか?
否! 今できること、やるべきことを思い出せ!


爆発音と吹き上げる白煙に、校内に残っていた生徒達が集まりはじめていた。
その連中に茫然自失状態の化学部の生徒達を保健室に連れて行くように指示すると、
携帯を取り出し櫻井を呼び出す。

「櫻井か、俺だ。実験棟の一階で花火が上がった。……そうだ。中にはまだ鴫原先生がいる。
 今、川田が中に入ったところだ。……そうか。分かった。急げよ」

ようやく身体中にアドレナリンが駆け巡っていることを実感し、未だ噴煙の上がる
建屋を振り返り見た。
あの中に川田がいる。
無事でいろ。かすり傷一つつけるんじゃない。
SATにでも、どこへでも行けとは言ったが、まだ伝えていない言葉がある。
おまえとの関係がようやく分かりかけたところだというのに、まだどこへも行くな!
俺達の高校生活は、まだ数ヶ月残っているのだ。
道を違えるには早すぎる。

「あのぅ、議長……」

煙を吸い込んで掠れた声の主は、化学部の一年生のようだ。

「どうした。おまえも早く保健室へ行け」
「いえ、怪我はありませんから。さっき川田さんが中に入りましたけど、
 大丈夫でしょうか」

おまえに心配されるまでもない。既に俺が十二分に心配してやっているのだ、とは
言えないが「ああ、大丈夫だ」とだけ答える。
だが、一年坊主は申し訳なさそうな顔をすると、とんでもないことを口走った。

「ところどころ壁が崩れて廊下が埋まっちゃって……」
「なにっ!」

壁が崩れた? そこまで破壊力のある爆発物だったのかっ!
またしてもズンと腹に響く地鳴りが響き、実験棟を振り返り見た俺は腕の鳥肌を擦った。
救助に向かったはずの川田が遭難しないと誰が言える。
どうして俺はあいつを一人で行かせたりしたのだ。

「……すぐに櫻井が来る。後のことは櫻井の指示に従え」
「えっ、まさか議長まで中に?」
「櫻井が来たら、俺も中に入ったと伝えろ。いいな」

二階に上がる階段部分の防火壁は、既に閉鎖していると櫻井は言っていた。
川田が入ったことを伝えた時点で、一階部分の防火壁のロックは解除されている。
それが本当ならば、今、障害になるのは煙だけのはずだ。
黒煙が上がっていないことを再度確認した俺は、ハンカチで口元を押さえると建屋へと
飛び込んだ。

続く

拍手[0回]

煙のほとんどは窓の外へ排出されてしまったのだろう。
実験棟の中は思っていたよりも見通しが良かった。
とは言え、薄っすらと霧が掛かったように残っている煙は、視界を遮るのに十分な
幕を張っている。
鬱陶しげにボンヤリと霞む、きな臭い廊下を進みながら川田と鴫原先生の姿を探し始めた。


普段化学部が使用する実験室は、他の先生方の迷惑にならないようにとの学校側の
配慮から、一階奥の突き当たりにあり、建物から一部突出した形になっている。
「突き当たり」と言えば聞こえは良いが、実験棟の一階部分は何度も破壊された
お陰で建て増しを繰り返し、複雑に入り組んだ迷路となっていた。
ようするに化学部とは、鴫原先生が顧問に就任する以前から危険な集団だった
と言うことだ。
普段ならば迷いもせずに通り抜けることができるはずの廊下が、煙のせいで
見慣れないものに感じる。

「川田っ! どこにいる!」

ハンカチで押さえた口元からはくぐもった声しか出て来ない。
短く舌打ちした俺は、ハンカチをポケットに突っ込むと煙ごと息を吸った。

「川田っ!」

たちまち肺に煙が流れ込み、むせ返った。
想像以上の息苦しさにゲホゲホと咳き込み、涙で滲む目を瞬かせなければ何も見えない。
慌てて拳で口元を覆ったが、一度むせた咳はなかなか止まらなかった。
有機溶剤でも流れているのか、ツンと刺す刺激臭に喉の奥がヒリつく。
早く見つけ出して、ここを離れた方が良い。
引火などしなければ良いがという思いに、嫌な汗が背中を流れた。


この俺に臭い煙を吸わせた罪は重いぞ、川田っ!
汚い現場を這いずり回るのを好まないこの俺が、こんなヤバイところで人探しなんぞをして
やっているのだ。見つけたらタダではおかない。
鴫原先生でも川田でも良い。即座に蹴倒してやる。


壁に手を預け、手探りで進むうちに、ようやく突き当たりの教室を見つけた。
だが、見上げて確認した表示板には「第5実験室」とある。
どうやら幾つも枝分かれした廊下の曲がり角を間違えてしまったらしい。
化学部の第1実験室は、中庭を挟んで第5実験室の反対側にある。


この対面と言うと、窓から出た方が早いか……
だが下手に建屋の外に出れば、川田や先生と行き違いになってしまうかもしれない。


躊躇する俺の耳に、またしても小さな爆発音が響いた。
中庭側の窓を開け放ち、煙を追い出しながら、第一実験室の様子を伺うが、
割れた窓から煙が噴出すばかりで他になにも見えなかった。

「川田っ。そこにいるのか!」

近くにいると分かっていながら、呼んでも応えない相棒に苛立たしさが募る。
バカが。俺が呼んだら、即座に犬のように走って来ないかっ!
躾が足りないな。あとでジックリとお仕置きをしてやる。
そうだ。無事でさえいれば、生きてさえいれば、なんでもできる。
お仕置きも、互いを貪りつくすセックスも、歯が浮くような甘い囁きも、
生きていればこそだ。
たとえ遠く離れようとも、生きていれば間違いなく逢える。
俺達は天使の分け前に匹敵する時間を共有するのだ。
そのために今を生きる。


煙に咳き込みながら、唐突に笑いが込み上げて来た。
川田は「死なない」と言った。それもわざわざ「絶対」を付けてだ。
なにがあってもなくとも、どうせ俺はあいつの身を心配せずにはいられない。
SATに行こうが行くまいが、目の届かないところにいる川田の身を案じ続けるだろう。
ならば、その約束を守らせるまでだ。
生きてさえいれば、あいつは必ず俺に逢いに来る。
そしてどんなに遠くにいようが、俺はあいつの36度の心地良さを求め続けるのだ。
これはもう理屈ではなく、説明、言い訳できるような感覚ではない。
だが、あれこれ悩む必要などないほど、まったく単純明快なことだった。


バカバカしいほど愛しているのだ。
あの猪突猛進で無謀な男が、どうしようもなく愛しい。
とっ捕まえて蹴り倒し、「死んだら許さない」と再度脅しを掛けてやらねば
気が済まないほど、愛して止まない。どうしても必要なのだ。
俺の退屈な人生に彩りを与え続ける、あのバカが。


ただ一つの真実は川田を信じることではなかった。
俺が、俺自身を信じ続けることが、真実なのだ。
川田を手放してやるなど、傲慢も甚だしい。
言葉は消えてなくなるからいらないだと? 当然だ。
自分のロイヤルティを疑う俺が、川田の言うことを素直に信じられるはずがない。


俺が死ぬまで、もしくは川田が死ぬまで、愛し続けることができるのか?
今なら誓える。迷いは晴れた。
答えはYesだ。


ずっと阿世賀先生の死が引っ掛かっていた。
熟して落ちる果実ならば受け取ることもできるのに、突然の激しい嵐にもぎ取られ、
行方も知れない果実は探しようがない。
あの人がどこかで迷っているような気がして、どこかで俺を待っているような
気がしてならなかった。
文字通り死ぬまで愛し続けたのだ。いや、今も変わらず愛しているし、生涯
この思いが変わることはないだろう。
川田を愛したからと言って阿世賀先生への思いが薄らぐわけではないのだ。
一体俺はなにに怯えていたのだろう。
あれやこれやと難しく考えすぎて、本当は真っ先に見なければならないものを、
わざと目を瞑り見えない振りをしていた結果がこれか。
バカは川田ではなく、俺の方だな。


廊下を漂う煙が中庭に向かって勢い良く流れ出し、一気に視界が開けた。

続く

拍手[0回]

第一実験室を目指して急ぐ俺の前に、突如として現れた瓦礫の山。
今度こそ間違いなく第一実験室へと続く廊下の分岐を三回曲がった先に、それはあった。
壁が崩れるほどの衝撃があったのかと、しばし茫然となる。
爆破の威力にゾッとする気持ちがないではないが、これでまた改築後には実験棟の
迷路化が進むのかと思うと目眩がした。
煤けて汚れた壁、道を塞ぐ岩の山、複雑な迷路とくれば、これはもう立派なダンジョンだ。
このまま文化祭まで状態を保存し、生徒会企画として使用するのも一興だが、果たして
校長が了承するかどうか。
そんなことを考えながら廊下に跪き、下敷きになった者はいないか確認する俺の耳に、
瓦礫の向こう側からゲホゲホと咳き込む音が聴こえた。

「誰かいるのか!」
「ケホン! あー、高須君?」
「鴫原先生、無事ですか」
「大丈夫だよ。ピンピンしてる」

瓦礫の向こう側から聞こえて来る鴫原先生の声は、煙にやられて掠れてはいたが、
比較的元気そうで、この状況下でもノホホンと聞こえる。

「そこに川田はいませんか」
「うん、いますよ。いますけどねぇ」

いるけど、どうした。
まさか負傷して動けないのではあるまいな。
鴫原先生を庇い、崩れ落ちた壁の下になっていることも考えられる。

「川田っ! どうした、返事をしろ!」
「あー、川田くん気を失っちゃってるから返事できないねぇ」
「怪我をしているのですか」
「うーん、出会い頭にぶつかっちゃってね。額にコブくらいはあるかもしれないな。
 見た感じでは、大したことはなさそうだ」

さすが腐っても医者だと言いたいところだが、やっぱりここでもアンタが原因か。

「いやー、いきなり正面衝突しちゃって参った参った」

違う、参っているのは俺の方だ、とは言えないのが少しばかり辛い。
それにしても、実験棟の壁面は通常の設計よりも頑強にできているだけに、崩れても
尚壁として機能しているところが尋常ではない。これでは壁ではなく城砦ではないか。
普段、ここでいかに危険な実験が行われているかが伺い知れるというものだ。
廊下は崩れた壁による瓦礫の山。迂回するにも第一実験室に続く廊下はここだけだ。

「外から回ります。中庭側の窓を開けて貰えますか」
「分かった。川田くんが気を失っちゃったから、私も出るに出られなくて困ってたんで助かるよ」

アンタが困ったさんなのは最初からだろう、と言う言葉を呑み込み「お願いします」と伝える。
来た廊下を引き返し、先ほど開け放った窓に近づくと、反対側で「おーい」と無邪気に
手を振る、もしかすると今すぐ蹴り倒したいかもしれない人物が見えた。


窓から中庭に飛び降り、反対側に急いだ俺は、第一実験室の窓枠に手を掛け覗き込み、
中の意外な様子に驚いた。
廊下の甚大な被害に比べ、実験室の損傷は思ったほどではない。
床に散在した実験道具のほとんどは割れて足の踏み場もないし、一部の窓ガラスは
吹き飛ばされているものの、壁はクラックが入った程度で崩壊を免れているのはなぜだ。

「一体なにがあったのですか」
「うーん、私が打上げ花火を作っていたのは知ってる?」
「企画書を見ました。即刻中止するよう忠告に来たのですが、遅かったみたいですね」

鴫原先生はムッとした表情で「ちゃんと危険物取扱者免許取ったんだけどね」と唇を尖らせた。
免許を取得したのか。まさか、花火のためにか。

「ふん、乙種、丙種とか言うんじゃないでしょうね。それなら俺にも取れる」
「甲種だよ。毒物劇薬取扱者免許だって持ってるし、君が忘れているようだから
 言いますけどね、私は優秀な成績で医学部を卒業しているんだからね」
「知ってますよ。だが、遊びで爆弾を作られては困ります。結果はこの通りじゃないですか」
「あー、まぁ、それを言われると辛いかな」

なにが「辛いかな」だ。ちっとも悪びれた顔などしていないではないか。
戸棚から割れていないビーカーを取り出し、それに水を注ぐとサッサと廊下に出る。
やはりこちらの被害は酷かった。教室側の壁が破壊され、瓦礫と化している。

「酷いな。だが、なぜ火が出なかったんだ」
「ふふん。それはだね、私が開発した特殊火薬のせいなんだ」

また妙なものを開発したな、この困ったさんは。
俺は「導火線から火薬部分に引火した後にだねぇ」と得意満面な笑みを浮かべて説明を
始めた鴫原先生をざっくりと無視し、瓦礫の前で仰向けに大の字で倒れている男を抱き起こした。

「川田、目を覚ませ。傷は浅いぞ。しっかりしろ」

一見したところ額のコブ以外どこにも怪我はないようだったが、精神的ダメージを考慮し、
こんな時のための常套句を口にしてみる。
眉間に皺を寄せ、小鼻を膨らませて唸っている男はとてもセクシーだった。


最愛の叔母をテロで失ったトラウマにも負けず、笑ってレッドゾーンに飛び込んで行った川田。
「絶対に死なない」と無責任なできない約束をする男。
川田、どんなに頑張ったところで、人はいつか、どこかで死ぬのだぞ。
だから、俺の手が届くところで死ぬのだけは止めてくれ。
おまえがいなくなる瞬間を、この目で確認させるのだけは勘弁してくれ。
どうしたって後追いしたくなるだろう。
そんなことをおまえが望むわけがないと分かっていても、こうして来てしまうだろう。
阿世賀先生の時は自分の目で確認することは叶わなかった。
正直に言えば、今でもどこかで生きているのではないかと思うことがある。
空しい夢だと分かっていても、いつか逢えるかもしれないと希望を持ってしまう自分が嫌だ。
どうせいなくなるなら、俺の前で死んでくれれば良かったのにと思ったことすらある。
けれど、それはとんでもない間違いだったと、意識のない川田を見てゾッとする。
あの人に再び逢うには後を追うしかなかった俺を、おまえが傍にいて止めてくれたのに、
おまえを失ったら俺はどうしたら良いのだ。

続く

拍手[0回]

プロフィール
HN:
あびこふぉるて
HP:
性別:
女性
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[12/03 ふぉるて]
[12/02 かなめ]
[11/19 ふぉるて]
[11/19 なのはな]
[06/28 ふぉるて]
ブログ内検索
バーコード
忍者アナライズ
フリーエリア
フリーエリア
Copyright © 雑記帳 All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog
Graphics by 写真素材Kun * Material by Gingham * Template by Kaie
忍者ブログ [PR]