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今日は気分を変えて、久しぶりにお江戸な小話を一つ。
このところ色々あって、母、疲れちゃったので気分転換です(苦笑)
同心の旦那の帯刀の不思議について語りたかったのですが、いきなりだと分かりにくい
ことも多いので、武家の身分制度から行きますね。
まずは知ってるようで案外知らない、将軍家と大名の関係から。
お江戸で一番偉いのは将軍様です。言わずと知れた葵の御紋。徳川家の最高峰!
江戸時代の大名は、将軍家との親疎によって、家門(後に親藩:しんぱんと呼ばれます)、
譜代大名(ふだい)、外様大名(とざま)に分けられていました。
家門(親藩)とは徳川家直系の大名家とその分家のことで、いわゆる御三家、御三卿(ごさん
きょう)の他、越前家、松江家などがありました。
御三家というのは、尾張徳川家、紀伊徳川家、水戸徳川家の三大名家のこと。
御三家は将軍家の血統保持が一番の役目で、将軍家に世継ぎがない時には御三家の中から
世継ぎを出したのです。ほら、紀伊から出た将軍様と言えば、暴れん坊の吉宗様ですよ!
黄門様で親しまれている水戸光圀公は、水戸徳川家の二代当主ですもんね。
御三卿と言うのは田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家のことで、御三家による将軍位相続
争いが起きないように見張り役として、暴れん坊将軍・吉宗公とその後の九代将軍・家重公が
設置したものです。
ここまでが将軍家の血が濃〜い大名達。
譜代大名と言うのは、三河以来、関が原の戦い以前に徳川方に組した大名のこと。
老中、若年寄などの要職は、譜代大名の中から選ばれました。
外様大名とは、関が原以降に徳川家に服属した大名のことです。
大名と言っても国持ち(一国以上の国を持っている)がいれば、国を持たない大名もいたり、
城を持っている大名もいれば、城がなくて領主と呼ばれる大名もいるし、色々。
御三家はそれぞれの国で城持ちでしたが、御三卿は城を持たず、江戸城門内に屋敷があり、
そこで生活する将軍家の家族だったのですよ。
さて、次回は直参と呼ばれる武士のお話を致しましょう。

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ハイ、今日もお江戸な小話です。
直参(じきさん)とは、旗本と御家人の総称で、幕府に直属する者と言う意味です。
旗本というのは、将軍の直臣で禄高一万石未満でお目見え以上の上級武士を指します。
「お目見え」とは将軍に拝謁を許された者のことです。
元々、旗本というのは、いざと言う時に主君の旗の本に駆けつけて働く戦闘部隊のこと。
お江戸に屋敷を与えられ、そこに暮らすことを義務付けられていました。
御家人は禄高一万石未満でお目見え以下の下級武士です。お目見え以下なので、将軍に
拝謁することは出来ません。
さて、この旗本と言う武士、実に微妙な立場でして。
幕府初期には外様大名のお取り潰しが相次ぎ、浪人になってしまった者が続出!
どこかに主家を求めようにも、泰平の世の中になっちゃったので戦がありません。
どこも臣下に雇ってくれるところなんかありません。世の中、暇です。
因みに浪人とは、元は牢人と書きました。主家が取り潰され失業した武士、または主家を
離れて主君を持たない者のことを、牢籠人(ろうろうにん)=苦悩する者と呼んだのが、
やがて放浪する者を意味する浪人の文字に変わったようです。
暇人の旗本が悪さをしでかさないようにと、幕府は町方の与力という仕事を与えました。
旗本は武家です。与力は武家であり、武家に付属する兵卒の武士が同心と言うことですね。
ところがですね、与力は犯罪者に関わるお仕事ですから、不浄役人と呼ばれました。
上様は尊いお方ですから、不浄な仕事に関わる人間がお傍に寄ることなど言語道断。
というわけで、与力は旗本でありながらお目見え以下なのです。お気の毒だ。
与力は武家ですから帯刀を許されておりましたが、浪人になると帯刀は打ち首です。
そこで浪人は長脇差(ながわきざし)を持ちました。長ーいドスです(汗)
この長脇差のことを、覚えておいて下さいませ。
明日は、いよいよ同心の帯刀の不思議に迫ります(って大袈裟だな/汗)

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武家の身分制度から長々と引っ張って来ましたが、今日はいよいよ同心の帯刀の不思議について、
母の勝手な考察をばお話し致しましょう。
えーと、ほんとに勝手な憶測に富んだ考察なので、真に受けちゃいけませんよ(苦笑)
同心はお侍さんです。TVの時代劇では大小二本の刀を腰に差しているのを見ます。
が、なんの小説だったか「刀一本ですから、あれは同心です」と言う台詞を見たんですよ。
一本差しだから同心?なんじゃ、そりゃ。
TVの時代劇は結構ウソが多いですからね。フィクションだと思って楽しむ分には良いのですが、
実際はどうだったんだろうと疑問に思うと、母は夜も眠れなくなるほど気になって気になって…。
今回もすごーく気になったもので調べましたよ(今回の長い小話の元凶はココだ!)
そうしたらですね、どうやら定町廻りの同心は一本差しだと言う説と、二本差しだと言う
二つの説があるようなんですね。
普段は大小を落とし差しにしており、捕り物の際には歯引き(斬れないように加工すること)した
長脇差(ながわきざし:いわゆる長いドス!)一本で出かけたと言う説と、普段から歯引きした
長脇差一本だったと言う説と、二通りありまして。
どうして歯引きしたかと言うと、捕り物はあくまで捕縛が目的なので斬り殺してはいけないのと、
大捕り物で敵も味方も入り乱れた場合、間違って味方を斬ってしまってはいけないからね。
でね、母、もしかすると同心は大刀は持てなかったんじゃないかなーと言う気がするのですよ。
普通、お武家様(殿!と呼ばれるようなお方。旗本以上の上級武士)は、大刀と脇差の
大小二本を持ち歩きます。
比べて浪人などは、長脇差がほとんどだったようです。
大刀は武家の証なので、主家を無くした浪人が持っていると打ち首対象になったと、
なにかの本にあったと思ったのですが、ちょっと胡乱。探して確認せねば(汗)
で、同心は「細身の刀を差していた」と言う記述もあるのですが、長脇差は大刀よりも
尺が少し短く、細身だったと思うんですね(やっぱり胡乱だ〜)
同心は御家人です。下お目見え以下の級武士とは言え、幕府直属の役人です。
なのに長脇差を同心が持っていたというのは、もしかして同心は大刀の帯刀は許されて
なかったんじゃないかなーと思っちゃったわけです。
また、戦のない世の中ですから、立派なエモノはそうそう無かったんじゃないかなと思います。
戦国時代の刀は武器ですが、江戸時代の刀は飾り物同然だったんじゃないでしょうか。
お家がお取り潰しに合い、職にあぶれた浪人者は貧乏でした。
武士の身分を捨て、町人になった人も沢山いたそうですから、お侍のプライドだけで
生きていた人は、喰うに困って刀を売ってお金に換え、立派な鞘の中身は実は竹光〜、
なんてこともあったかも。
話が飛んでしまいましたが、大事な武家の証を捕り物で振り回すとは考えにくいでしょう?
だから長脇差だったとも考えられます。
全て母の勝手な憶測ですから、真相のほどは分かりませんよ?(汗)
因みに町与力は旗本でありながらお目見え以下なもので、実際は御家人扱いだったようです。
やっぱり与力の旦那ってお気の毒だ(苦笑)
明日はお侍さんのお給料についてお話しましょうかね。

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武士のお給料について行く前に、お江戸の通貨を説明しましょうか。
お江戸の通貨は三貨制度(さんかせいど)と言いまして、金貨、銀貨、銭貨の三種類。
それぞれが独立しており、単価や計算方法も換算率も違いました。むー、面倒臭いね。
「上方の銀遣い、関東の金遣い」と言う言葉があって、これは上方では銀が、お江戸では金が
使われていたことを示しています。庶民間ではもっぱら銭貨が使われていました。
金貨には五両、一両の小判と二分金、一分金、二朱金、一朱金があり、銀貨は丁銀、豆板銀、
五匁銀、一分銀、二朱銀、一朱銀など。
そして庶民の間で使われた一文銭(見たことあるでしょう?寛永通宝)ですね。
1両小判を二分金に換算すると2枚。一分金だと4枚。二朱金では8枚。一朱金だと18枚です。
1両小判1枚を一文銭に換算すると、4000〜10000枚にもなっちゃいます。
百両箱だの千両箱なんて、庶民には夢のまた夢ですなぁ。

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武士のお給料システムは、ちょっと分かりにくいです。うまく説明できるかな(汗)
大名というのは一万石以上の高給取りで(なんちゅう説明!)、その下の旗本は将軍直属の
家臣で二百石から一万石未満、その下の御家人も将軍直属の家臣で二百石未満が基本給。
○○石と言うのはお米に換算したお給料のことで、俸禄(ほうろく)とか家禄とか言います。
その昔、武士の給料は米で貰っていたのですが、旗本以上には領地があり、お百姓さんから
年貢を取り立てて禄を得ました(それ+ボーナスの現金とか扶養手当に当たる米とか有り)
取り立てた米は家族や家来が食べる分を残し、残りを売ってお金に換えて生活したのです。
旗本や御家人の家禄は、代々変わることがありません。そういう取り決めだったのです。
一度決められた基本給は一生変わりませんから、たとえ無職でもお金の前借が利きます。
この米をお金に換える商売のことを札差(ふださし)と言います。
旗本は二百万石から一万石と言いますが、実際には二百万石から三百万石の者が多く、
それで何からなにまで賄うにはかなり苦しかったようです。
と言うのは旗本のお給料は「知行取り」(ちぎょうとり)という、将軍さまから与えられた
領地を治め、そこから年貢を取り立てるシステムで成り立っていました。
昔、学校で習った四公六民なんて言葉、覚えてますか?
できたお米の四割をお上に納め、農民達は六割を自分達の取り分としたって、あれですよ。
それで行くと二百石の旗本の実質上の収入は八十石と言うことになります。
これって実は、直接玄米をお手当てとして貰っていた(蔵米取り:くらまえどり)御家人と
大して変わらない俸禄なのです。旗本と御家人の給料にあまり差はなかったのですね。
基本給の他に、扶持米取り(ふちまいとり)と言って、扶養手当のようなお米が家族一人
あたり男には九石、女には約五石ほど支給されました。
一石は米俵にして2.5俵くらいだそうですよ。
米俵って確か大人一人の体重と同じくらいでしたよね。55キロくらいかな。
二百石の家禄の旗本の実質上の取り分は、八十石=200俵。これが一年分の基本給。
約11000キロのお米になります。
これを今のお米の金額に直してみましょう。10キロ4000円として4400000円。
この中から食べるお米一年分を差っぴいて、残りを売るのですよ。
今と違って大家族が多かったお江戸のことです。扶養手当の扶持米があっても、こんなん
ではとても生活できませんってば。
その結果、何年も先の分まで前借して借金の火ダルマなんて武士が、江戸中期にはうんとこさ
存在しちゃったのです。
貧乏旗本や御家人で溢れかえるお江戸。こりゃ大変だと言うので、締まり屋老中・松平定信は
棄捐令を出しました。棄捐令とは今までの借金を破棄するというもので、借金地獄に陥っていた
旗本らは大喜びしましたが、札差は大打撃!借金を踏み倒されたも同然です。
これでお江戸の経済はますます滞ってしまい、町は火が消えたように活気がなくなってしまった
のだそうです。

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喉がむず痒いなーと思っているうちに咳が出始めました。
うむむ、アレルギー性気管支炎が流行っているらしいですが、そ、それか?

サイト原稿はですね「クサノツユシロ」がやっと半分書けました。
毎日10行ほどを書いては消しを繰り返してます。
できれば今週末に更新したいところ。
川田×高須はヤケクソのようにエロエロ街道まっしぐら中(汗)
「雲雀東風」は相変わらずまったりと。
お江戸パラレルは、江戸切リ絵図で地名と場所を確認しとこうと思いましたが、何故か
切り絵図が見当たらない。ど、どこにしまったんだっけ。

江戸と言えば、最近CSで時代劇チャンネルを良く見ます。
もうすぐ「隠密同心・大江戸捜査網」が放映されるんですよv楽しみだなー。
そー言えば時代劇を見ていると、男の髷(マゲ)やタボに首を傾げることが多いです。
職人さんはあんなに華やかなタボ(ウナジの上の膨らみ)は結わないだろうと思ったり、
八丁堀の旦那の髷がデロッと太くて引っ詰めだったり。
あの太い髷は頂けません。なに乗っけてんだよって気分になります。
八丁堀は細く短く、粋に結ってくれなきゃね。
TVは、一目見て侍だ町人だと分かりやすくしているのでしょうが、うーむ。
面白いのは遠山の金さんで、実際の金さんには桜吹雪なんかなかったそうですよ。
腕のあたりに文を咥えた女の首がチョコッと描かれていたらしい。
しかも、若気の至りで刺しちゃったことを恥じて、夏場でも隠していたそうです。
そうだよねー、仮にもお奉行様だもんねー。
でも、それじゃドラマにならんわな(苦笑)
まぁね、TVドラマはフィクションだと分かって楽しむものだから良いのよ。
それはともかく、切り絵図だっ。どこに行ったんだー!

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