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今日は陰間茶屋について少し。
陰間茶屋とは男色を売るお店のこと。男色を売る陰間と呼ばれる少年は役者の卵。
最初の頃は舞台に出る前の役者の卵を指して言いましたが、段々と男色を売る少年を
陰間と呼ぶようになったとか。
どの子もみんな大変な美少年だったそうですよ。
変声期前の美少年が島田髷に花かんざしを挿し、女の着物を着て、黒塗りの下駄を履き、
芸者のように三味線を弾き、唄い、踊りもしつつ男色を売っていました。
美少年が綺麗に着飾っているのですから、それだけでもう堪りませんわな(笑)
17、8を過ぎて大人びて来た陰間は、女を相手にすることも多かったそうです。
主なお相手は大きな家の後家さんや奥女中。有閑マダムのホストクラブ通いみたい。
陰間茶屋は岡場所と同じく、公共の遊所ではありません。
吉原側からの提訴があれば、当然取り締りを受けました。
というのも、陰間茶屋は人気があったので、吉原にとっては商売敵だったのです。
陰間茶屋にとって、女色を禁じられているお坊さん、特にお金持ちの高僧などは
大のお得意さんでした。
気になるお値段ですが、陰間と遊ぶと一切(一時半、今の三時間)で一分(今のお金で
2万5千円)、昼夜一日を独占すると二両(20万円!)にもなったそうです。
これは吉原の中級クラスの遊女の値段に匹敵します。
吉原側がお上に告げ口したくなる気持ちも分からないではないかな(苦笑)
さて、陰間はお客に呼ばれると、女郎屋ならぬ男郎屋から男色専門の茶店に出張します。
役者は外では顔を晒してはいけない決まりになっていましたから、陰間の少年は
頭巾を被り、その上から編み笠を被って外出しました。
と言っても大きく高く結った女髷をしていましたから、ちゃんと編み笠を被れる
わけではありません。手で持って顔を隠していたそうです。
住吉町、和泉町、長谷川町、大阪町、堺町新造の陰間茶屋を摘発した記録が
残されていますから、やはり芝居小屋のあった日本橋界隈ですね。
堺町には中村座、市村座がありましたから、陰間を集めやすかったのです。
日本橋芳町(芳町は俗称で正式には堀江六軒町。今の日本橋人形町あたりです)には、
24軒もの陰間茶屋がずらりと軒を並べ、100人を越える陰間がいたそうです。

陰間について深く語ろうとすると、歌舞伎の歴史から始めねばなりませんのでパスね。
ここではサラリと軽く語るのみに致しましょう。
明日は吉原と思いましたが、陰間の訓練なんかをお話しちゃおうかな(苦笑)
などと言ってましたら、レオンに「八丁堀黄表紙綴りはまだか?」と突っ込みを
入れられました。
「江戸の風俗を語るのも良いけど、小説書いてね」だって。はぅ〜、書きまするぅ。

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