category:お江戸小話
今日は町奉行について少し。
江戸府内の町地を所轄とした、行政、司法、警察などのことにあたった役所を、
総括して町奉行所と呼びます。
南、北両奉行所にそれぞれ各一人ずつ町奉行がおりまして、それがかの有名な
大岡越前だったり、遠山の金さんだったり、根岸の爺様だったり。
お奉行さまの役宅は奉行所内にあったそうです。
南と北に分かれていますが、所轄を二つに分けたわけではありません。
一月交代で申請書類等の受付をするための二つの奉行所であり、例えば今月の当番は
北町だから南町の旦那方は休みかと言えば、そういうわけではなかったようです。
書類の受付はしないと言うだけで、奉行所内ではちゃんとお仕事していたのですね。
町奉行所に勤める皆さんのことを「町方役人」(まちかたやくにん)と総称します。
そして町奉行所与力を「町方与力」(まちかたよりき)、同じく同心を「町方同心」
(まちかたどうしん)と呼びました。
江戸には町方奉行の他に、寺社奉行、勘定奉行があり、町奉行と合わせて三奉行と言います。
それぞれの「寺社方」「勘定方」と区別したのですね。
この中で一番偉いのは寺社奉行です。他の二奉行が老中支配であるのに対し、
寺社奉行は将軍直属なのです。
他の二奉行は旗本から選任されましたが、寺社奉行は大名から選任されるなど、
寺社奉行と言えば、譜代大名エリート出世コースのスタート地点的な役職でした。
おっと、それはともかく町奉行ですね。
お奉行様は上記のように旗本から選出されましたが、お役目がお役目ですから
非常に優秀な人が選ばれたそうです。
老中が警察庁総監だとすれば、奉行は警察署長かな。
となると与力は警視クラスかな。捕り物の時に与力は馬に乗って出たので、
一人二人と数えず一騎二騎と数えるのだそうです。与力達の中でも一番偉い役職が
筆頭与力ですね。
一応、一代限りと言うことでしたが、実際には世襲制だったようです。
与力の下にいる同心は警察官でしょうか。
町奉行所同心の中には、定(町)廻り(じょうまわり)同心、臨時同心、
隠密同心の三廻り同心(さんまわり)と呼ばれる職種があり、いわゆる外勤
警察官って言うか刑事みたいな感じ。
奉行所内勤の同心だっていますからね。同心全員が市中見廻りしていたわけじゃないのですよ。
市中見廻りに出た定廻り同心(定員たったの6名!)は、庶民に人気があった花形職業。
実際の捕縛に携わった人たちなので、熟練した40〜50代が多かったようです。
うーん、渋いオヤジが黒紋付で江戸の中を闊歩していたのか。
定廻りを長く勤めた人が付くのが臨時同心(定員6名)でした。定廻りの手が足りない時に
お手伝いに出た50歳以上のベテラン刑事です。
そして隠密同心(定員2名)はと言えば、町奉行直属の、その名の通り隠れ同心です。
通常、同心は与力の下につきますが、隠密同心はお奉行さま直属。それだけで、もう偉そう!
極秘に事件の裏を探ったり、証拠固めをしたり、スパイ大作戦か公安かっ!
松方さんでお馴染みの「死して屍拾う者無し×3」の、あの隠密同心です(大好きでしたよぅ)。
TVと違って、実際に捕縛に携わることはなかったと言う説と、自分の判断で捕縛、
または斬り捨てても良いとされたと言う説とありますねぇ。どっちが本当なんでしょうか。
さて、同心達はそれぞれ小者(こもの)を2、3人使っていました。
小者とは使い走りなどの雑用をする人たち。手先とか岡っ引きとも呼ばれますが、
岡っ引きと呼ばれる人たちの中でも、奉行所に名前を届け出た人たちを特に小者と
言うそうです。それ以外は「並」(なみ)と呼ばれたとか。ちょっと悲しい(苦笑)
捕り物の時に登場する十手(じって)は、同心の小者であるという身分の証です。
それも捕り物があるときだけ奉行所備え付けの十手を渡されたそうな。ほんとに悲しい(苦笑)
でも、南、北両奉行所の三廻り同心を合わせても28名しかいませんから、町民だけでも
60万人以上いたと言われる江戸市中全てに目が行き届くはずもなく、岡っ引きの
存在は重要でした。
そんなわけで、岡っ引きは大事にされ、同心からお給金を頂いていたのです。
簡単に(って言うか乱暴)お話してみましたが、明日はもう少し掘り下げてみます?
江戸府内の町地を所轄とした、行政、司法、警察などのことにあたった役所を、
総括して町奉行所と呼びます。
南、北両奉行所にそれぞれ各一人ずつ町奉行がおりまして、それがかの有名な
大岡越前だったり、遠山の金さんだったり、根岸の爺様だったり。
お奉行さまの役宅は奉行所内にあったそうです。
南と北に分かれていますが、所轄を二つに分けたわけではありません。
一月交代で申請書類等の受付をするための二つの奉行所であり、例えば今月の当番は
北町だから南町の旦那方は休みかと言えば、そういうわけではなかったようです。
書類の受付はしないと言うだけで、奉行所内ではちゃんとお仕事していたのですね。
町奉行所に勤める皆さんのことを「町方役人」(まちかたやくにん)と総称します。
そして町奉行所与力を「町方与力」(まちかたよりき)、同じく同心を「町方同心」
(まちかたどうしん)と呼びました。
江戸には町方奉行の他に、寺社奉行、勘定奉行があり、町奉行と合わせて三奉行と言います。
それぞれの「寺社方」「勘定方」と区別したのですね。
この中で一番偉いのは寺社奉行です。他の二奉行が老中支配であるのに対し、
寺社奉行は将軍直属なのです。
他の二奉行は旗本から選任されましたが、寺社奉行は大名から選任されるなど、
寺社奉行と言えば、譜代大名エリート出世コースのスタート地点的な役職でした。
おっと、それはともかく町奉行ですね。
お奉行様は上記のように旗本から選出されましたが、お役目がお役目ですから
非常に優秀な人が選ばれたそうです。
老中が警察庁総監だとすれば、奉行は警察署長かな。
となると与力は警視クラスかな。捕り物の時に与力は馬に乗って出たので、
一人二人と数えず一騎二騎と数えるのだそうです。与力達の中でも一番偉い役職が
筆頭与力ですね。
一応、一代限りと言うことでしたが、実際には世襲制だったようです。
与力の下にいる同心は警察官でしょうか。
町奉行所同心の中には、定(町)廻り(じょうまわり)同心、臨時同心、
隠密同心の三廻り同心(さんまわり)と呼ばれる職種があり、いわゆる外勤
警察官って言うか刑事みたいな感じ。
奉行所内勤の同心だっていますからね。同心全員が市中見廻りしていたわけじゃないのですよ。
市中見廻りに出た定廻り同心(定員たったの6名!)は、庶民に人気があった花形職業。
実際の捕縛に携わった人たちなので、熟練した40〜50代が多かったようです。
うーん、渋いオヤジが黒紋付で江戸の中を闊歩していたのか。
定廻りを長く勤めた人が付くのが臨時同心(定員6名)でした。定廻りの手が足りない時に
お手伝いに出た50歳以上のベテラン刑事です。
そして隠密同心(定員2名)はと言えば、町奉行直属の、その名の通り隠れ同心です。
通常、同心は与力の下につきますが、隠密同心はお奉行さま直属。それだけで、もう偉そう!
極秘に事件の裏を探ったり、証拠固めをしたり、スパイ大作戦か公安かっ!
松方さんでお馴染みの「死して屍拾う者無し×3」の、あの隠密同心です(大好きでしたよぅ)。
TVと違って、実際に捕縛に携わることはなかったと言う説と、自分の判断で捕縛、
または斬り捨てても良いとされたと言う説とありますねぇ。どっちが本当なんでしょうか。
さて、同心達はそれぞれ小者(こもの)を2、3人使っていました。
小者とは使い走りなどの雑用をする人たち。手先とか岡っ引きとも呼ばれますが、
岡っ引きと呼ばれる人たちの中でも、奉行所に名前を届け出た人たちを特に小者と
言うそうです。それ以外は「並」(なみ)と呼ばれたとか。ちょっと悲しい(苦笑)
捕り物の時に登場する十手(じって)は、同心の小者であるという身分の証です。
それも捕り物があるときだけ奉行所備え付けの十手を渡されたそうな。ほんとに悲しい(苦笑)
でも、南、北両奉行所の三廻り同心を合わせても28名しかいませんから、町民だけでも
60万人以上いたと言われる江戸市中全てに目が行き届くはずもなく、岡っ引きの
存在は重要でした。
そんなわけで、岡っ引きは大事にされ、同心からお給金を頂いていたのです。
簡単に(って言うか乱暴)お話してみましたが、明日はもう少し掘り下げてみます?
PR
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カテゴリー
最新記事
(01/24)
(01/09)
(11/14)
(10/08)
(07/02)
(05/01)
(04/13)
最新コメント
[12/03 ふぉるて]
[12/02 かなめ]
[11/19 ふぉるて]
[11/19 なのはな]
[06/28 ふぉるて]
アーカイブ
ブログ内検索
最古記事
(05/26)
(05/27)
(05/28)
(05/29)
(05/30)
(05/30)
(05/31)
忍者アナライズ
フリーエリア
フリーエリア
Copyright © 雑記帳 All Rights Reserved.