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ワタクシが「ゴミネット出さねば!」と緊張のあまり眠れない夜を過ごしていた頃、友人のGちゃんもやはり眠れぬ夜を過ごしていた。
ただし、こちらはワタクシと違って高尚な悩みゆえの不眠。

Gちゃん「夏よ~、私がついに呼びえなかったものの名は~、名づけられぬものの名は~♪って歌詞が気になって眠れん!」

「具体的なイメージを持って歌わないと真から歌えないっ!奥深い何かかあるはずなのに!」と、音楽の芸術性を高めたいと言う叫びのメールが届いた。
今ワタクシ達が歌っている曲は、またしてもいわゆる現代曲と呼ばれる、不協和音の連続技が続く面倒臭い類のもので、音も難解だが歌詞も抽象的で難解なのだ。
Gちゃんは声楽家なので、情感を込めて歌いたいと言う思いが強い。さすがプロだ。しかも、とてつもなく美声。
あの美声で「夏よ~」と情感を込めて歌われたら、誰もがうっとりすること間違いなしだ。
この曲のタイトルを「沈黙の名」と言う。作詩は谷川俊太郎氏。
著作権の問題があるので詩の全容を披露するわけには行かないが、気だるそうな空気が流れている詩だと思う。
ワタクシはこの詩を読んですぐに「中学校(女子校)で用務員をしているロリコンオヤジのストーカーじみた呟き」と解釈したが、Gちゃんは「ひと夏の恋」と言うロマンチシズムな解釈をしようとしているようだ。
Gちゃんの名誉のために言っておくが、ワタクシの解釈は普通じゃない。かなり斜め、それも20度くらいの角度から眺めた歪んだ解釈だ。寝転んで鼻をほじってでないと見えないような角度だと思ってくれていい。
この詩を読んだ大多数の人は、「恋の予感に浮かれる若い娘達を眺める私の感傷」とかなんとか、甘く切ない青春の感傷を思い浮かべた解釈をするだろうと思う。
ともかく「私」と言う一人称を男性と捉えるか女性と捉えるかで、解釈は全く違ってくる。
日常的にホモ小説を一人称で書いているワタクシには、「私」はどう転んでも男性にしか見えないが、改めて読んでみると「彼女ら」の母親かもしれないし、姉かもしれない。場合によってはお祖母さまかも。
きっとGちゃんにとっての「私」は女性で、それも母親に近い存在なのだろう。
「ロリコンオヤジ」と即座に断定したワタクシとはエライ違いだ。

「女性」と思って眺めてみると、この「私」と言う人物は、かなり屈折した嫌な女だなーと言うことに気づかされる。
なんせ「夏よ、今年も若い娘たちに教えるがいい」と言いながら、最後には「夏よ、今年も黙っているがいい」と全く正反対のことを言うのだ。
これがロリコンオヤジだったなら、毎年入れ替えが繰り返され、新鮮な若い娘達だけが集められた特殊な環境に…ま、これはいいか。
なぜ「私」と言う女性は、正反対のことを言わねばならなかったのか。
ひと夏の恋と言う、ロマンチシズムな感傷を踏まえた上で、ここに注目してみた。

夏休みは永遠に続くと信じたくなるほど、夏の日々はただただ暑く、季節の変化に乏しい。
そんな気だるく、だが心躍る季節に、少女達は誰もが激しい恋に落ちる予感に震えている。
きっと「私」にも、情熱的で忘れ難い、けれども忘れてしまいたい夏の思い出が過去にあったに違いない。
夏が繰り返し訪れる度に、「私」は年老いた今も(推定年齢76歳)、遠い昔、少女だった頃の感傷に捉われてしまう。
当時は激情だった心の揺れも、今ではすっかり風化して、感情の名残である上澄みを留めるだけだ。
夏独特の開放感に加え、戦後復興著しい高揚感から、裕次郎か若大将の映画のヒロインになりきって、海でナンパして来たチャラ男と交際を始めたものの、秋が訪れる前には破局。
「なんであんな男を若大将みたいなんて思ったのかしら」と自分自身に腹が立つ。
そんなひと夏の恋。ひと夏の思い出。

今も昔も、いつの時代も人は恋をする。
若い娘達に訪れるであろうひと夏の恋を予感して、「私」は自分の過去を振り返りつつ「若いってイイわねー」と斜に構えて眺めている。
もしかすると「私」はひと夏の恋が終わった後で、妊娠に気づいたのかもしれない。そして堕胎。
愛だと信じたものは、ああ勘違いでしかなかった。
身も心もボロボロになり、呆気なく終わった恋を思い出しつつ、小麦色に焼けた肩を剥き出しにし、生足サンダルで闊歩する目の前の若い娘達に過去の自分を投影しているのだ。
そこには「私にもそんな歳だった時があるのよ」と言う懐かしさ、若さへの憧れと嫉妬、そして無防備な若さへの苛立ちがある。
だから「この夏、素敵な恋ができるといいわね」と言う姉のような優しい思いと、「そんなに肌露出しちゃって、襲われたって知らないよ」と言う意地悪な女友達のような思いと、「ボロボロになるかもしれない、ひと夏の恋なんて知らないままで」と願う母の如き慈愛が複雑に揺れ動いているのだ。
そう解釈すると、自ずと「呼びえなかったものの名、名づけられぬものの名」の正体が分かるではないか。
それは育まれなかった命だ。
ひと夏の恋で生まれた小さな命は、名づけられることもなく、「私」以外に知る人もなく、沈黙に守られたまま闇へと葬られてしまったのだ。
そうか、「沈黙の名」の正体は水子だったのか!

……おかしい。また斜め20度で見ているな、ワタクシ。いかん、もっとロマンチシズムにならねば。
こんな解釈をGちゃんに教えたりしたら、彼女の不眠症に拍車が掛かってしまいそうだ。
でも、どうしよう。妙にしっくりと、あるべき場所に収まってしまった気がしてならない。
土曜日に「どう感情を込めればいいの」と叫ぶGちゃんに、とりあえず「埴生の宿みたいな感じの曲だと思うよ」(諸行無常って言うか成す術なし?)と言っておいたのだが、うーむ、これじゃあ分からないだろうな。
この画期的な新解釈を、不眠症に陥らせてもGちゃんに教えるべきか否か。
そしてワタクシはとても黙っていられず、「沈黙の名の正体は水子」とだけ打ったメールを送信しておいた。
何も知らない人が読んだら不気味なだけだが、Gちゃんならば察するだろう。

ここまで書いたら、なんと当のGちゃんから電話がきた。
ワタクシとGちゃんは、多いときには週に4日も電話で喋りまくる仲なのだ。
そしてワタクシは、ワタクシの新しい解釈の全貌を彼女に話さずにはいられなかった。

Gちゃん「それって小説かなにか?水子について調べたの?」
ふぉるて「ううん、全てワタクシの妄想」
Gちゃん「老婦人目線って…でもなんだか凄くしっくり来るわね。ねえ、そこには戦争で亡くなった男への感傷とかはないの?」

そうか、Gちゃんは太平洋戦争で失った恋人を思う気持ちを歌に込めたかったのか。
水子に関しては否定されなかったので、戦死した恋人の子どもを「私」は堕胎したか流産したと、Gちゃんは考えているに違いない。
だがしかし、ワタクシは思う。
そこには失った男への感傷は一欠けらもない。あるのは失った我が子と若さへの極々薄く淡い感傷だけだ。
あまりにも遠い過去すぎて、感情も薄れ掛けているイメージがある。

ふぉるて「ない!(きっぱり)」
Gちゃん「えー、あって欲しいんだけどー。ところでアンタ、今日はなにしてる?」
ふぉるて「今日はね、Yちゃんがマーマレードの消化を手伝いがてら遊びに来るんだよ。Gちゃんも来ない?」
Gちゃん「行く!」

かくして声楽家であるYちゃんと、同じく声楽家のGちゃんの二人が我が家で会することとなった。
ふふふふ、「沈黙の名」について激しい意見交換が行われる予感がする。楽しみだ。

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