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ブログで不定期連載中の「八丁堀黄表紙綴り」は、日本橋、深川界隈を中心に
お話が展開します。
昨日は日本橋の大店についてお話しましたので、今日は深川のお話を少し。
深川と言えばお江戸最大の岡場所(おかばしょ)です。
岡場所というのは、お上から許可を頂いていない遊所のことです。
お上の許可が下りた遊所は、かの有名な遊郭新吉原だけでしたが、深川は
暴れん坊将軍・吉宗公の時代頃から富岡八幡(永代寺)周辺に急速に発展し、
吉原を凌ぐ勢いだったといいます。
ここで有名だったのは、深川芸者こと巽芸者(たつみげいしゃ)。
江戸城から見て辰巳の方角に深川があったために、巽芸者と呼んだそうです。
この巽芸者ですが、職人さん達が多い下町らしく、芸者も威勢が良く、粋で、
格好良かった。
男名の芸者が多く、時には羽織を着てお座敷に上がったりもしたので、
羽織芸者と呼ばれることもありました。(今なら男装の麗人かな)
よその芸者に比べて化粧が薄く、無地小紋や裾模様の紋付に下げ帯、一年中
素足に吾妻下駄のいでたちで、とても人気があったそうです。
余談ですが、柳橋芸者というのは、深川の遊所が取り払われた後に柳橋に
移った芸者達のことです。元々は深川の芸者さんだったのですね。
芸者とは異なりますが、街娼(売春婦)にも色々種類がありました。
一番下級な街娼は夜鷹(よたか)。夜になると、ムシロを抱えて川原の土手
などに現れて、客があると材木の陰などで売色しました。(アオカンだ)
夜鷹とともに最下級だと称されたのが、舟饅頭(ふなまんじゅう)です。
大川(隅田川)辺りの舟の中で、船頭相手に売色した街娼です。
他には上野辺りから浅草まで広がっていた私娼や娼家を指す蹴転(けころ)、
金猫(お代が金一分だったから)、銀猫(お代が銀二朱だったから)とか。
変わったところでは提重(さげじゅう)と言って、提げ重箱に菓子等を入れて
物売りを装い、武家の中間部屋などを廻って売色した街娼もいたそうです。
明日は、BLサイトらしく陰間茶屋についてお話してみましょうかね(笑)

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