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東日本大震災で被災しました。PCが壊れ、ビルダーも壊れた為、サイトは書庫化しています。
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長らくお待たせしてしまいましたが、ようやく「更新しました」とお知らせすることができました。
久々のモーツァルト。今週更新は無理かと諦めかけていたのですが、頑張ったよ、うん。
安東くん、必殺・開き直りです。相変わらず妄想力はたくましいですが、先生の気持ちを今ひとつ(ふたつ?みっつ?)理解してない、安東くん。
生徒の心教師知らずどころか、教師の心生徒知らずなんじゃ…
ここから一気に色々と加速して行きたいところですが、ワタクシも身辺がようやく落ち着きはじめたところですので、相変わらずボチボチと(汗)
よろしくお付き合い下さいませね。

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ここ一週間の寝不足を解消すべく昨夜は早めに寝て、今朝はゆっくり9時前に起きた。
気分は爽快だ。予約していた美容室も思い切ってキャンセルし、ゆっくりのんびりしているところ。

朝が弱くてなかなか起きられないくせに、ワタクシはわりと時間に小うるさい性質だ。
普段の移動手段がバスと言うこともあり、外で待ち合わせする時はバスの到着時間に合わせてもらうことが多い。
そして乗り遅れたら大変だと、時計と睨めっこしながら早め早めに行動を起こす。
出掛ける1時間前には準備万端で、いつでも外に飛び出せるカッコウだ。
人との待ち合わせに遅れることは滅多にない。人を待たせていると思うと、気が気でなくなる小心者だからだ。
今は携帯電話が普及し、「遅れる」と一言メールを打てばお互いにホッとすることも多いけれど、昔は連絡手段が限られていたので本当に気が気じゃなかった。
待ち合わせ場所が喫茶店ならば、電話帳をひいて調べることもできるが、駅前なんぞだった日には本当にハラハラする。
自分が遅れても心配掛けてしまうし、人が遅れても「事故か?急病か?」と心配しちゃうし(苦笑)
とにかく人を待たせるくらいならば、自分が5分でも早く行って待っていた方が気が楽でいい。
実はワタクシが時間を気にするようになったのには切っ掛けがあって、未だにその時のことを良く覚えている。

ワタクシがまだ18、19歳だった時の話しだ。
待ち合わせ時間よりも、やたら早く落ち合うことが多い友人がいた。
ワタクシはそれに対して特に思うことはなかったのだが、ある時、彼女がワタクシに「遅い!」と言ったのである。
約束した時間の15分前には到着しているはずなのだが。驚いてそう問うと、彼女は「でも私の方が早かった」と得意げに言い放ったのだ。
その時、「ああ、この人は誰かを待つ自分に優越感を覚える人だったのか」と思ったことを鮮明に覚えている。
多分、彼女は誰に対してもいつも「待つ人」だったのだろう。
でもワタクシも「待つ人」だった。それが彼女には気に入らなかったのだろうと思う。
彼女は意地でもワタクシを待つために、どんどん待ち時間を長くして行ったのだろうし、そのことも気に入らなかったのだろう。
だからと言って一時間も早く行くのもなんだし、わざと遅れて行くと言うのも変だし、約束の時間の前に到着しているのに「遅れちゃってゴメン」と謝るのもおかしな話しだ。
結局その友人とは疎遠になり、3、4年に1度会う程度の付き合いになったが、時間が異常に気になると言う癖をシッカリとワタクシに残して行ってくれた。

その一方で、あまり早くに行って、長々と相手を待つこともなくなった。
せいぜい15分前に到着していれば早い方だ。
あまり長い時間人を待っていると「遅い」と言い放った彼女のことを思い出してしまい、なんとも複雑な気分になるからだ。
それでも時々、ふとした瞬間に自分に問いかけることがある。
そんなつもりはなくても、いつの間にか自分も彼女のようになっていやしないか?待っている自分に優越感を感じていやしないか?
いやいや、ワタクシが勝手に早く来ているのだから、待っている方が好きなのだからと、首を振りながら文庫本に目を落とす。
コーヒーでも飲みながら持参した文庫本を読みつつ、時々脳内妄想を手帳に書き留めながら、のんびりと誰かを待つ時間は好きだ。
待たせていると思うとお尻がムズムズして落ち着かないが、不思議と待っているのは苦にならない。
ワタクシよりも時間にうるさいGちゃんとの待ち合わせでは、少しでも遅れると「遅い!」とやられるので気が抜けないが(苦笑)
でもGちゃんは、待ち合わせ時間前に落ち合った時には、必ず「早かったね」と言う言葉が即座に出る人だ。
その辺りは前述の友人と大きく異なる。
それは18、19だった子どもと成熟した大人の差なのかもしれないけれど、根底で性格が大きく関係しているような気がする。

ともかく普段せっかちで、人に「すぐやる課」と笑われるほどセカセカしていると自覚がある分、のんびりと気楽に人を待てるのはいいことだと思うようにしている。
誰かを待っている時間は、時間と時間の合間に出来るポッカリと空いた素晴らしい自由時間なのだと思うと楽しい。
もちろん大好きな人達と会っている時間も楽しいけれど、会う前にも楽しみがあれば2倍楽しくなるではないか。
なんせ時間に大らかな友人を待つときなどは、15分どころか30分近くも自由時間があるのだから。
そう言えば遅刻魔で有名なその友人は、自分が遅刻しがちであることに気づいていないふしがある。
ワタクシに理由があって「待つ人」側にいるように、もしかしたら「必ず人を待たせてしまう人」にも何か心理的理由があるのだろうか。
尋ねてみたいけれど、本人に自覚がないらしいので、ちょっと聞きにくい。

携帯電話を持ち歩くようになり、腕時計を外したことも「待っている自分」をあまり意識しないでいられるようになった大きな要因だと思う。
くだんの彼女との一件があってから、ワタクシは腕時計を外さなくなった。
風呂とスポーツする時以外は、眠る時も手首には時計をしたままだったから、長いことワタクシの左手首には時計バンドの跡が一年中白く残っていた。
そこだけ手首がくびれていたほどに、付けっ放しだったのだ。
夫に「寝るときくらい外したら?」と言われても、「目覚めた時にすぐ時間が見られる方がいい」と笑って取り合わなかった。
子どもが生まれ学校に通うようになると、ますます時間に固執し、腕時計が外れることはなかったように思う。
それが子どもが高校に入学した頃から、腕時計を重たく感じ、鬱陶しく思うようになった。
今思えば、子離れ親離れが始まっていたのかもしれない。
時々外しては、どこに置いたのか忘れて慌てて探すようになり、風呂上りには付けなくなったのはいつ頃からだっただろう。
そして全く腕時計をしなくなって2年ほど経った。
日焼けせずに残った白い跡はなくなったが、今でも左手首を触ると一箇所だけ少しだけ骨(肉か?)の窪んだ部分を感じることができる。
当時は分からなかったが、よっぽど「時間」に対して強迫観念を感じていたのだろう。
その頃の自分を過敏過ぎた、神経症だったのかもねと笑えるほど、現在のワタクシは今日が何日で何曜日だったか思い出すのが困難なくらいノホホンとしている(ボケてる?)
腕時計は指輪やイヤリングと一緒でアクセサリーとなり、ワタクシを時間に縛り付けなくなった。
ワタクシの時間は、幾分ゆったりと流れるようになったのかもしれない。

さて、あなたは待つ人?それとも待たせてしまう人ですか?

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ゴミネット当番のお陰で時差ボケ気味の頭をスッキリさせようと、月曜日の夜は0時前に就寝。
昼寝もしたと言うのに眠気が襲ってくる。夢も見ずにグッスリだ。
黄金週間の少し前から、ようやく寝つきが良くなってきたワタクシ。
それまでは、なかなか寝付けない上に、夜中に何度も目が覚めて熟睡できなかったのだが、多分色々なことに慣れたのだろう。グッスリ熟睡できるようになり、ちょっと嬉しい。
だがしかし、火曜日の朝、5時50分に枕元に置いた携帯メール着信音(ひょっこりひょうたん島)に安眠を破られた。
なに?朝っぱらから一体誰よ!と携帯を開ければ、そこには夫からのメールが。

夫「昨日はモーニングコール忘れちゃったけど、大丈夫だった?」
妻「大丈夫。あのね、そーゆーことで朝6時前にメールして来ないでくれる?」

寝ぼけ眼で携帯を操り、でもシッカリと文句は言い、さあ、二度寝を楽しもうと思ったら、またしても能天気なひょっこりひょうたん島が!

夫「ごめん、起こしちゃったね」

だーかーらー、メールするなっつーの!返信拒否じゃ!
その後、ムキになって惰眠を貪り、次に目覚めた時は既に9時だった。
しまった、今日は友人がマーマレードの消化を手伝いがてら遊びに来る予定だった!
ガバッと起き上がったところに、その友人から電話。

Yちゃん「これから病院に行って薬もらって来るから、そっち行くのはお昼頃になりそう」
ふぉるて「良かった。ワタクシ、今起きたとこなのだよ」
Yちゃん「は?アンタ、なにしてんの?もう9時だよ」

そこで昨日の寝不足原因から今朝の夫があーでこーでと、複雑に絡み合った寝坊の原因を切々と訴えてみる。

ふぉるて「なあ、どうよ。寝不足にもなろうってもんだろ?」
Yちゃん「あー、もう分かった分かった。後でゆっくり聞くから」

いやん、Yちゃんってば冷たい。
そして昨日の「名づけられぬものの名は」へと話しは続くのだ。
13時過ぎにGちゃんが現れ、次いでYちゃんもやって来て、解釈談義になるかと思いきや、抱腹絶倒の笑い話に終始してしまった。
例の歌詞を読んだYちゃんが、「なんじゃこりゃ、抽象的すぎてわけ分からん」と速攻でポイ捨てしたのだ。まったくもう、なんて諦めの早い奴なんだ。
ワタクシの友人達は、全員こんな感じの能天気さを持っている。
そして結局、黄金週間でのバス旅行中にバスのタラップから転倒し、右手を強打し負傷したYちゃんの珍道中の話しやら、うちの豪胆な伯母の話しやらに笑い転げて終わってしまった。
久しぶりに思い切り笑って、喋りまくった気がする。笑うって本当に気持ちいいものだ。
Gちゃんが持参した鹿児島土産のチマキをつまみつつ、大急ぎで焼いたワタクシのくるみパンに、これまた手製のマーマレードを塗りつけて簡単な昼食としたのだが、マーマレードは大変お褒めの言葉を頂いてしまった。やっほー!

Yちゃん「美味しいよ!凄いじゃん。パンとジャムのお店出せるよ!」
ふぉるて「じゃ元手が掛からないように、実の成る木をもっと植えねばな」

それを聞いたGちゃんの目は「これ以上、庭をジャングル化してどーする気?」と無言で訴えていた。
そう言えば、「最近、Gちゃんとの会話をブログネタにさせてもらうことが多い」と言ったワタクシに、Gちゃんは「知ってる。突っ込んでいいものかどーか迷ってた」と笑っていた。
すまんな。これからもGちゃんはワタクシのブログに登場し続けると思うから、よろしく。
二人にはマーマレードとくるみパン4分の1個をお土産に持ち帰ってもらい、月曜に作ったマーマレードは全て消化された。
5つ作ったうちの3つは近所の友人達がもらってくれたので、試作品の在庫は0だ。
因みに感想は全て「美味しく出来てる」だった。お世辞が言えるような友人達ではないので、ワタクシは素直に受け取って喜んでいる。
Gちゃんが大量の空き瓶を持ってきてくれたお陰で予備の保存瓶の心配もなくなったし、これで木曜日には心置きなく本格的にマーマレード作りに専念することができると言うものだ。

さて、Gちゃんが持って来たのはチマキと空き瓶のみならず。
ワラビを藁灰と一緒にプレゼントしてくれた。
ワラビは灰汁抜き処理されたものを頂いたことはあるが、採れたてをもらったのは初めてのことだ。

ふぉるて「灰を使ってどーやるの?」
Gちゃん「私もよく知らんけど、農協のおばちゃんの話しだとバットに並べて灰を掛けてどうこうって」

うーん、灰を掛けただけで灰汁が抜けるものなのか?
こーゆー時はネットで検索。
そもそも灰汁は水溶性なので、超新鮮なものならば灰汁もあまりなく、一晩水にさらすだけでも抜けると言う。
朝採りワラビを購入したのならば、バットに並べて灰を被せた上から熱湯を掛け、半日から一晩置き、水洗いして出来上がりらしい。
そうでない場合は、大鍋に湯を沸かし、灰を入れて火を止め、ワラビを入れて半日から一晩置き、水洗いして出来上がり。
灰がない時は重曹で代用するそうだが、どうしても薬臭くなってしまうのは免れないらしい。
だから灰汁抜きには灰が一番なのだとか。灰汁抜きは書いて字の如しと言うことか。
要領を得たところで、早速、灰汁抜きに挑戦だ。
ワラビ丸ごと入りそうな大鍋はないので、根元の固そうな部分を切り落として少し短くして、ムギューッと灰入り熱湯に沈める。
どうしても浮いて来てお湯から出てしまうので、落し蓋をして空気に触れないようにした。
そして出来上がった下処理済みワラビは、しっかり灰汁が抜けており、本当に苦くなかった。
これが今朝のワラビ。臭みも苦味もなく、ぬめっとしながらも歯ごたえが残りイイ感じ。



おお、昔の人よ、素晴らしい知恵を残してくれてありがとう!
今夜は、おかか醤油にしてありがたく頂きますv

とここまで書いたら、隣の町内会の人が資源ゴミ回収用の備品を我が家の玄関先に置いて行った。
ひー、来月の我が家は資源ゴミ当番の一番手だったのか!朝、6時45分までにバケツやら回収袋やらを広げねばならない。
明日も頑張って5時45分起床だし…ワタクシ、寝不足で死ぬよ?
そんなこんなで、もう少しで仕上がりそうだったモーツァルトを書く手が止まっています。
時差ボケ気味なもので、頭が回らないのです。
今週末更新は間に合わないかも。すみません~。

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ワタクシが「ゴミネット出さねば!」と緊張のあまり眠れない夜を過ごしていた頃、友人のGちゃんもやはり眠れぬ夜を過ごしていた。
ただし、こちらはワタクシと違って高尚な悩みゆえの不眠。

Gちゃん「夏よ~、私がついに呼びえなかったものの名は~、名づけられぬものの名は~♪って歌詞が気になって眠れん!」

「具体的なイメージを持って歌わないと真から歌えないっ!奥深い何かかあるはずなのに!」と、音楽の芸術性を高めたいと言う叫びのメールが届いた。
今ワタクシ達が歌っている曲は、またしてもいわゆる現代曲と呼ばれる、不協和音の連続技が続く面倒臭い類のもので、音も難解だが歌詞も抽象的で難解なのだ。
Gちゃんは声楽家なので、情感を込めて歌いたいと言う思いが強い。さすがプロだ。しかも、とてつもなく美声。
あの美声で「夏よ~」と情感を込めて歌われたら、誰もがうっとりすること間違いなしだ。
この曲のタイトルを「沈黙の名」と言う。作詩は谷川俊太郎氏。
著作権の問題があるので詩の全容を披露するわけには行かないが、気だるそうな空気が流れている詩だと思う。
ワタクシはこの詩を読んですぐに「中学校(女子校)で用務員をしているロリコンオヤジのストーカーじみた呟き」と解釈したが、Gちゃんは「ひと夏の恋」と言うロマンチシズムな解釈をしようとしているようだ。
Gちゃんの名誉のために言っておくが、ワタクシの解釈は普通じゃない。かなり斜め、それも20度くらいの角度から眺めた歪んだ解釈だ。寝転んで鼻をほじってでないと見えないような角度だと思ってくれていい。
この詩を読んだ大多数の人は、「恋の予感に浮かれる若い娘達を眺める私の感傷」とかなんとか、甘く切ない青春の感傷を思い浮かべた解釈をするだろうと思う。
ともかく「私」と言う一人称を男性と捉えるか女性と捉えるかで、解釈は全く違ってくる。
日常的にホモ小説を一人称で書いているワタクシには、「私」はどう転んでも男性にしか見えないが、改めて読んでみると「彼女ら」の母親かもしれないし、姉かもしれない。場合によってはお祖母さまかも。
きっとGちゃんにとっての「私」は女性で、それも母親に近い存在なのだろう。
「ロリコンオヤジ」と即座に断定したワタクシとはエライ違いだ。

「女性」と思って眺めてみると、この「私」と言う人物は、かなり屈折した嫌な女だなーと言うことに気づかされる。
なんせ「夏よ、今年も若い娘たちに教えるがいい」と言いながら、最後には「夏よ、今年も黙っているがいい」と全く正反対のことを言うのだ。
これがロリコンオヤジだったなら、毎年入れ替えが繰り返され、新鮮な若い娘達だけが集められた特殊な環境に…ま、これはいいか。
なぜ「私」と言う女性は、正反対のことを言わねばならなかったのか。
ひと夏の恋と言う、ロマンチシズムな感傷を踏まえた上で、ここに注目してみた。

夏休みは永遠に続くと信じたくなるほど、夏の日々はただただ暑く、季節の変化に乏しい。
そんな気だるく、だが心躍る季節に、少女達は誰もが激しい恋に落ちる予感に震えている。
きっと「私」にも、情熱的で忘れ難い、けれども忘れてしまいたい夏の思い出が過去にあったに違いない。
夏が繰り返し訪れる度に、「私」は年老いた今も(推定年齢76歳)、遠い昔、少女だった頃の感傷に捉われてしまう。
当時は激情だった心の揺れも、今ではすっかり風化して、感情の名残である上澄みを留めるだけだ。
夏独特の開放感に加え、戦後復興著しい高揚感から、裕次郎か若大将の映画のヒロインになりきって、海でナンパして来たチャラ男と交際を始めたものの、秋が訪れる前には破局。
「なんであんな男を若大将みたいなんて思ったのかしら」と自分自身に腹が立つ。
そんなひと夏の恋。ひと夏の思い出。

今も昔も、いつの時代も人は恋をする。
若い娘達に訪れるであろうひと夏の恋を予感して、「私」は自分の過去を振り返りつつ「若いってイイわねー」と斜に構えて眺めている。
もしかすると「私」はひと夏の恋が終わった後で、妊娠に気づいたのかもしれない。そして堕胎。
愛だと信じたものは、ああ勘違いでしかなかった。
身も心もボロボロになり、呆気なく終わった恋を思い出しつつ、小麦色に焼けた肩を剥き出しにし、生足サンダルで闊歩する目の前の若い娘達に過去の自分を投影しているのだ。
そこには「私にもそんな歳だった時があるのよ」と言う懐かしさ、若さへの憧れと嫉妬、そして無防備な若さへの苛立ちがある。
だから「この夏、素敵な恋ができるといいわね」と言う姉のような優しい思いと、「そんなに肌露出しちゃって、襲われたって知らないよ」と言う意地悪な女友達のような思いと、「ボロボロになるかもしれない、ひと夏の恋なんて知らないままで」と願う母の如き慈愛が複雑に揺れ動いているのだ。
そう解釈すると、自ずと「呼びえなかったものの名、名づけられぬものの名」の正体が分かるではないか。
それは育まれなかった命だ。
ひと夏の恋で生まれた小さな命は、名づけられることもなく、「私」以外に知る人もなく、沈黙に守られたまま闇へと葬られてしまったのだ。
そうか、「沈黙の名」の正体は水子だったのか!

……おかしい。また斜め20度で見ているな、ワタクシ。いかん、もっとロマンチシズムにならねば。
こんな解釈をGちゃんに教えたりしたら、彼女の不眠症に拍車が掛かってしまいそうだ。
でも、どうしよう。妙にしっくりと、あるべき場所に収まってしまった気がしてならない。
土曜日に「どう感情を込めればいいの」と叫ぶGちゃんに、とりあえず「埴生の宿みたいな感じの曲だと思うよ」(諸行無常って言うか成す術なし?)と言っておいたのだが、うーむ、これじゃあ分からないだろうな。
この画期的な新解釈を、不眠症に陥らせてもGちゃんに教えるべきか否か。
そしてワタクシはとても黙っていられず、「沈黙の名の正体は水子」とだけ打ったメールを送信しておいた。
何も知らない人が読んだら不気味なだけだが、Gちゃんならば察するだろう。

ここまで書いたら、なんと当のGちゃんから電話がきた。
ワタクシとGちゃんは、多いときには週に4日も電話で喋りまくる仲なのだ。
そしてワタクシは、ワタクシの新しい解釈の全貌を彼女に話さずにはいられなかった。

Gちゃん「それって小説かなにか?水子について調べたの?」
ふぉるて「ううん、全てワタクシの妄想」
Gちゃん「老婦人目線って…でもなんだか凄くしっくり来るわね。ねえ、そこには戦争で亡くなった男への感傷とかはないの?」

そうか、Gちゃんは太平洋戦争で失った恋人を思う気持ちを歌に込めたかったのか。
水子に関しては否定されなかったので、戦死した恋人の子どもを「私」は堕胎したか流産したと、Gちゃんは考えているに違いない。
だがしかし、ワタクシは思う。
そこには失った男への感傷は一欠けらもない。あるのは失った我が子と若さへの極々薄く淡い感傷だけだ。
あまりにも遠い過去すぎて、感情も薄れ掛けているイメージがある。

ふぉるて「ない!(きっぱり)」
Gちゃん「えー、あって欲しいんだけどー。ところでアンタ、今日はなにしてる?」
ふぉるて「今日はね、Yちゃんがマーマレードの消化を手伝いがてら遊びに来るんだよ。Gちゃんも来ない?」
Gちゃん「行く!」

かくして声楽家であるYちゃんと、同じく声楽家のGちゃんの二人が我が家で会することとなった。
ふふふふ、「沈黙の名」について激しい意見交換が行われる予感がする。楽しみだ。

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ああ、遂に恐れていたこの日がやって来てしまった。
先週の土曜日の朝、我が家の玄関先にひっそりと置かれたビニール袋の中には、黄色いネットが入っていた。燃えるゴミ置き場で使うネットである。
カラスに荒らされないように、この辺りでは燃えるゴミの上にネットを被せることになっている。
我が町内では月木の二回、燃えるゴミの回収が行われるが、燃えるゴミ当番は遅くても朝6時半までに、この黄色いネットをゴミ置き場に広げなくてはいけないのが、暗黙の了解だ。
マンモス団地ゆえに数ヶ月に一度しか巡っては来ないのだが、遂にワタクシに当番が回ってきてしまったのだ!
日曜日に赴任地へ戻ろうとする夫に「明日ゴミ当番なんだよねー。今夜は家に泊まってかない?」と「明日の朝5時にネット出してから出勤しなよ」と露骨に訴えてみたが、「頑張ってね」とすげなく無視されてしまった。

妻「ゴミネットって何時までに出すものなの?」
夫「遅くても6時半。たまにネットよりも先にゴミを出されちゃうこともあるんだけど、それってけっこう屈辱的なんだよね。6時に出せるとベスト」
妻「ええー、6時!」

普段は「一人は気楽でいいわー」とフンフン鼻歌気分のくせに、こーゆー時になると「夫がいてくれたら便利なのに」と思う身勝手さ!(グウタラ鬼嫁)
このところ起床は8時のワタクシ。しかも寝起きがとっても悪いワタクシ。
朝日と共に目覚めるニワトリ夫に起こしてもらっていたほどに寝起きが悪いのに、週二回とは言え6時前に起床せねばいけないのだ。
正直に言っていいですか…ものすごーく苦痛です。あはははー。
昨夜は「絶対に起きる、5時45分には起きる、明日はゴミネットを出す」と自己暗示をかけて就寝したところ、緊張のあまりか一時間置きに目が覚めてしまい熟睡できなかった。
5時には開き直って「眠れない。もう、いいや」と起き出し、甘夏マーマレード作りを始めたくらいだ。

どうしてこうも朝に弱いのだろうか。
思い返せば子どもの頃から朝が苦手で、実家にいる頃はやっぱり親に起こしてもらっていた。
会社勤めしていた頃は土日に寝だめをする習慣がついていたが、あまり意味はなかったような気がする。
ある日なんぞは、目が覚めて時計を見たら6時だったのだが、それが朝の6時なのか夕方の6時なのか分からない。
真冬だったので外を見ても薄暗いばかりで判断がつかず、とりあえず階下におりてみたら、テレビに噺家さん達が映っており、家族が鍋を突付いていた。
それで「ああ、日曜の夕方なのか」と分かったのだが、「いたのか!出かけたのかと思ってた。一体何時間寝てたんだ」と、鍋を突付く箸を止めて絶句していた家族の呆れた顔を思い出す。
それでも若い頃は「低血圧だから」と言う、信憑性は薄いが当時はご老公の印籠の如き免罪符になった言い訳があったから良かった。
あまりにも朝に弱いので「病気じゃないか?」と疑った親に病院に放り込まれたところ、異常に血圧が低かったのだ。
だが「死人か?」と医者が驚いたほど血圧が低かったのは20代までの話しで、どーゆーわけか妊娠出産と共に血圧は正常になっている。
妊娠すると誰でも多少血圧が上がり、心配されるものだが、ワタクシの場合は血圧が上がって正常値になり、出産後も正常な状態が続いていると言う、不思議体験をしてしまった。
とにかく、夜更かししようがしまいが関係なく、朝は辛い。
できることなら一日中寝ていたいくらいだが、腰が痛くなるので渋々起きるのだ。
若い頃は幾らだって寝ていられたのにと思うと、寝るのにも体力がいることを実感してしまう。
とりあえず今日が無事に済んで良かった。
次は木曜日だが、多分また一時間置きに目覚めて眠れず、朝5時から残りの甘夏3個でマーマレードを作っているような気がしてならない。
欠伸を噛み殺しながら、寝不足でハッキリしない頭で「雨は嫌。雨降ったらネット出すだけでも一苦労。雨だけは降ってくれるな」と今から祈っているところです。

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玄関先に飾っていた甘夏。鮮度が落ちないうちに、試しに2個使ってマーマレード作りに挑戦です。

【甘夏マーマレード】

材料は2つだけ。
■甘夏2個(1キロ弱)*無農薬、ノーワックス推奨ですが、お店で購入したものを使う時は、よーく洗って下さいね。多分、ワックスの落とし方があると思うのですが、あびこは良く分かりません。塩で擦るのかな?
■グラニュー糖500グラム(甘夏の重さの半分の量が目安です。甘さ控えめにしたい時は60%が限界。それよりも砂糖が少ないと日持ちしないそうです)

1 甘夏を八つ割りに皮を剥き、黒い部分は包丁で丁寧に取り除きます。白い綿の部分をこそげ取り、30分ほど水にさらしておきます。白い綿の部分が多いと苦味が強くなるので、包丁でゴッソリ取るか、カレースプーンでゴリゴリ削るかしてね。

2 甘夏の実は皮を剥き、丁寧に筋と種を取り除いて、軽くほぐしておきます。

3 大鍋にたっぷりの水を入れて、そこに甘夏の皮を入れて茹で零します。これを皮が柔らかくなるまで、2、3回繰り返します。

4 柔らかくなった皮を水に晒して揉み洗いし、ギュッと固く絞って適当な長さの千切りにします。この時点で皮はフニャフニャ。絞ると潰れちゃいますが気にしないでね。

5 千切りにした皮とほぐした実を合わせて、グラニュー糖の5分の4ほどを上から振りかけ、ざっくりと混ぜて二時間ほど放置。それがコレ。



6 コレをホーロー鍋にて弱火で煮詰めて行きます。煮詰めるうちに大量の水が上がってきますので、それが半分以下になるまで焦がさないようにゆっくりと煮詰めます。あびこは正味二時間半ほど煮詰めました。途中で味見をして、苦味が強いようならば残りのグラニュー糖を投入して更に煮詰めます。甘夏によって苦味が違うと思うので、そこは好みで加減して下さい。



↓水が出てきたところ。



7 煮詰まって、シロップに少しとろみがついたところで出来上がりです。煮詰めすぎると冷えた時に固くなりますから気をつけて。



8 煮沸消毒した空き瓶に詰めて完成。甘夏2個約1キロで、ふりかけの瓶などに5個出来ました。



今回の反省点は、皮をもっと細く切れば良かったなーと言うこと。少し煮詰める時間が長かったかなーと言うこと。
でも、はじめてにしては美味しいマーマレードが出来ました。早速、作りたてを紅茶に入れて楽しんでいますよ。
無農薬、ノーワックスの甘夏が手に入ったら、時間のある時にゆっくりのんびり作ってみて下さいね。
マーマレードを煮込んでいると、お家の中が柑橘系のイイ匂いで一杯になっちゃいます。爽やかな初夏の気分を満喫できること間違いなし!

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